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人に、流されない生き方

この元記事は昨年の記事なのですが、その辺を割り引いて読んでいただきたいのですが、昨年でしたでしょうか、女性議員が『me too』と書かれたカードを持って変な運動をしているのがテレビに流されていました。
昔から政争に明け暮れるといった構図はありましたが、今の野党は政権を倒すことだけに傾注して、その後がない。
テレビ他のマスコミも面白がって、そんなニュースばかりを流すしだけ。

少なくとも、思いましたね、国会議員ってそんなに暇なのって?
国会審議に応じないとか・・・小学生の子供じゃあるまいし。

そんなことばかりして、ポピュリズムに迎合することが民主主義だと思い込んでいるからいつまで経っても野党は野党のままで、今回のように「れいわ新撰組」とか「NHKをぶっ壊す」みたいな意味不明な政党も躍進したりする。

少なくとも、この二つの政党もポピュリズムに迎合していないとしても、ある意味庶民の不満の受け皿になったことは間違いない訳で、この後大きく発展するのか風頼りでしぼんでいくのか・・・。

ただ、一つ言えることは、いまのように世論の風頼みの政党ではますます没落してしまう。
そんな気がするのです、全体の流れに中に芯がないですから。

個人的には、自分自身が決めた柱がないとダメだと思うのです。
私は以前、これを人生のアンカーという表現をさせていただきました。

何時も意識しているのは、そうした人生のアンカーを打ち込んでから、そのアンカーから今度は空に向けて上昇する、高く高く上昇する。
そのようにして俯瞰することで見えてくるものを大事にしたいと常々思っているのです。

ビジネスを一緒に考えるときは、そのビジネスの意義、いわゆるアンカーを探して、そこから今度は俯瞰して考えてみる、ただ俯瞰するだけではなくて、そこには時間軸 (5年先はどうか、10年先はどうか・・・のような)
昨今は、時代の流れが速すぎて10年でスパンを考えても見えない場合があるので5年程度の場合が多いですが、ポピュリズムに流されず、絶対的な自分で決めたアンカーを元に考えることを習慣にしています。
意外と思われるかもしれませんが、こうした考え方を実践していくと、世の中の矛盾が見えてきますし、全く未知の問題にぶつかっても焦らず対処できるような気がするのです。


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