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私の黒歴史?ちょっと情けない話

いまでこそ、パワハラと言う言葉やブラック企業なんて言葉が流行していますが・・・・。
私が郵政局にいた頃は、そんなことは、当たり前すぎる日常でした。

郵便局では組合が強いところはきちんと休憩時間を取っていたようですが、郵政局では休憩時間は一応1時間取っているものの、超勤に関しては記録簿自体がない・・・。(>_<)

月末になって、予算配分された超勤原資に基づき配分されていく。
そうなると、末席になると殆ど超勤がないわけです。

他の職員さんと同じ時間だけ残っているにもかかわらず・・・。
末席の頃は雑用が多くて、例えば封筒のあて名書きとか封入作業、個々に局別の数字が違う場合はこれまた手書きで追記したりするので、その読み合わせ・・・みたいな、非生産的な仕事が多かったんです。

だから、少しでもそうした作業から逃げたくてDBを覚えたりしたんですけど、一向に仕事が減らないというか、早く帰ろうとすると止められる。
特段仕事なくても残ってくれていないと定員が減らされてしまうから。…そいった理由

今から考えればおかしな理屈でしょ。
でも、30年ほど前はこうしたことが当たり前の時代でした。
逆に、多くの人海戦術と言う名で仕事があったわけです。

更に、酷かったのは「パワハラ」

私なんか露骨にそれを受けました。
経理部にいた頃なんですが、直属の上司(係長)が転出した際に、私のことをかなり悪く引き継いでいたのでしょう、まぁ、私が資材部から来た外様と言うこともあったのですが、露骨に苛める。

というか、厳しいことを言われる。
何とか認めてもらおうと思って色々と努力するんです、当時はLotus1-2-3が主流でそのマクロを改良してみたり…当時はネットで簡単に情報を得られるなんてことは無いので、自分で本を借りてきてそれを見ながら直したりと言ったことを繰り返して、信用を得ようと思うのですが中々上手くいきません。

むしろ、ちょっとしたバグが見つかったりすると烈火のごとく怒られて・・・。
挙句の果ては、始末書出せ・・・ですからね。
こちらとしては、始末書を出すほどの失敗はしていないわけです、だから出さない。
そう言うと、今度は現場に降りろと言い出すわけです。降格を言ってくるわけです。
いまでしたら許されないと思うのですが、当時はそれも当たり前の時代でしたので、降格願を渋っていたら、これまた毎日、何時出すのだ、何時出すのだと始終言われるわけです。

精神的に参ってしまいますよね。

それで、最終的に渋々出したら、その係長はにんまりして、早速上司にご報告
有難いことに1週間後には私の意思に関係なく堺郵便局に飛ばしてくれました。

こうして書けば、軽く書いていますが、個人的には屈辱以外の何物でもないですよ。
今だったらパワハラで逆に上司を訴えることも出来るんですけどね、当時はそんな雰囲気ではなかったし、結局組織自体が、異端分子を排除するという力が働くような組織だったということかもしれません。

ちょっと愚痴になってしまい申し訳ありません。
でも、いまちょっとしたことでブラック企業だと言う方には昔はこんなことでも当たり前だったという時代があったことを知って欲しかったので、書かせていただきました。

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