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アンバランスな彼女

お気に入りの喫茶店、といっても初めて来た喫茶店で僕はコーヒーを飲んでいる。
ミルクと砂糖を追加で注文した。

店に入った瞬間、鼻腔をくすぐるコーヒーの香り。
机や椅子は木目調に統一されている。
それぞれの机には小さな小瓶挿しがあり、色とりどりの優しい色をした花が2、3輪ささっていた。
壁にはびっしりと並べられたコーヒーカップ。
僕にはお洒落すぎる。どう考えてもお洒落すぎる。
僕はこの店の雰囲気に危うく押し返されるところだったが、なんとか入り口に近い席に留まった。
綺麗に文字が整頓されたメニュー表。
文字だけのメニュー表。
眺めているだけで、1日過ごせそうだ。
このメニューはどんな見た目なんだろうと想像するだけで心が躍る。
熟考に熟考を重ねた結果、僕はアイスコーヒーを頼むことにした。
でも僕はコーヒーが飲めない。
飲めない訳でもないが、好んで飲むことはない。
だけど僕は強気に、ブラックのアイスコーヒーを頼んだ。
こんなお洒落な店で、しかもコーヒーの専門店で、ミルクと砂糖を入れることなんてナンセンスだ。
笑顔の素敵な店員さんが僕にこう言う。
「ミルクやクリームはお付けしなくて大丈夫ですか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「かしこまりました、当店、アイスコーヒーにはコーヒーの香りをより楽しんでいただくためにお砂糖を少し入れさせていただいております。よろしいでしょうか?」
「あ、はい!大丈夫です」
「はい、かしこまりました、失礼致します」
笑顔の素敵な店員さんは、終始表情を崩さなかった。
しかし僕は危うく、砂糖を欲するあまりに表情を崩しそうになった。

その時、店の入り口が開き、小柄な女性が来店した。
ひと目見るだけで思わず目で追ってしまうような古風でどこか知的な雰囲気を持った女性だった。何よりファッショナブルでお洒落だ。
頭には大きなパイロットキャップを被っている。
パイロットキャップが大きいのか、顔が小さいのか、とにかくアンバランスだったが妙に愛くるしい。
彼女は店内をぐるっと見回すと、ゆっくりと歩みを進める。
「お好きな席どうぞー」
店員さんの声に応えるように、彼女は僕が座っている席の隣の席に座った。
店内には僕と彼女2人しかいない。
僕は店の端の端のそのまた端の席を陣取っている。
彼女は店の端の端の席を陣取ったのだ。
アンバランスだ。非常にアンバランスだ。
この店が天秤だとしたら、釣り合いなんて取れたもんじゃない。
彼女は大きなパイロットキャップを取って机の上に置いた。
少しぺちゃんこになった栗色の髪を手でほぐす。
机の上のメニュー表を吟味する彼女。彼女はこの手の喫茶店には小慣れているようで、スマートにメニューを閉じると、店員さんを呼んだ。
「すいません」
「はいー」
「この黒豆コーヒーのホットひとつと、たまごサンドひとつ下さい」
「承知致しました。少々お待ちください」
「はい、待ってます」
彼女は律儀に返事をし、注文を終えると、小さなデニム地の鞄から本を取り出し、静かに読み始めた。画になる。めちゃくちゃ画になる。僕はどうすることも出来ず、ただただスマホをいじった。

「あ、あのぉ」
彼女が口を開いた。店員さんを呼ぶ声量では無い。店内には彼女の他に僕しかいない。したがって彼女が僕に話しかけているということになる。
「え?あ、ぼ、僕ですか」
「僕です」
「あ、あどうかしましたか?」
「こういう時間ってなんか、何したらいいか分からないですよね」
「え?」
「この注文したもの待ってる時間、何したらいいか分からないですよね」
「あ、あぁそ、そうですね」
「特にこういう雰囲気たっぷりのお店、困りますね」
「確かに。そわそわしますよね」
彼女みたいな人は、注文を待っている時間でさえもリラックスしていると思っていた。
「ね。私も本読んだりしてますけど、内容1個も頭に入ってきませんもん」
「僕も。スマホの電源入れてホーム画面開いて、電源オフって。これの繰り返しです」
「ふふふふ、ですよねやっぱり。しかも見てこれ昆虫図鑑」
「え!?」
「所詮、眺めてるだけなんですけど」
彼女はいたずらっ子のように舌を出し笑った。
彼女みたいな人は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をしっぽり読んでいると思っていた。
「あんなど真ん中の席、誰が座るんでしょうね。味しないですよね絶対。居心地悪そ」
店の中央に置かれた大きな机を指差して彼女は言った。
彼女みたいな人は真っ先に真ん中の席に座ると思っていた。
「貴方みたいな人がそんなこと思ってるなんて思わなかったです」
「私もです、そう思われてると思いました」
彼女は続けた。
「人って自分の固定概念を押し付けたがりますよね、何かと。こんなお洒落な空間にはお洒落な人しかいちゃ駄目だーみたいに。そう思ったりしてないですか?」
「あ、あぁ思ってます居心地悪いです」
「ですよね、私も思ってます。でもそれにあえて乗っかってお洒落な人になりきって過ごしてます」
「なりきってるんですか」
「そうです。いかにも。今日のテーマは下北沢で揃えた格安古着を着こなす文芸女子!です。どうです?なりきれてます?」
彼女は、にかっと笑った。
「なりきるって意外と楽しいですよ」

「お待たせしましたーアイスコーヒーです。ごゆっくりどうぞ」
程なくして僕が頼んだアイスコーヒーが運ばれてきた。
彼女は話をやめて、お先にどうぞーという顔をした。
僕はすいません、お先にいただきますの顔をして、ストローでコーヒーを啜った。
苦かった。砂糖入ってない!と思った。
彼女はどうですか?の顔をしてきたので、苦いですの顔をした。
すると彼女はふふっと笑い、
「アンバランスだなぁ〜」
と呟いた。
「僕さんみたいな雰囲気の人、ブラックコーヒーぐびぐび飲んでるイメージです」
そう言って彼女は昆虫図鑑に目を戻した。
僕は少し熱くなった耳たぶを、アイスコーヒーを持ち、冷えた手で冷やした。
「い、いや僕は、コーヒー専門店で冬なのにアイスコーヒーをあえて頼んで香りを楽しむ奴を演じてるので」
彼女は昆虫図鑑を見ながら笑った。
「お待たせしましたー黒豆コーヒーのホットとたまごサンドです。ごゆっくりどうぞ」
彼女の前にコーヒーとたまごサンドが運ばれてきた。
彼女はコーヒーにたっぷりのミルクを入れかき混ぜたのち、大きすぎるたまごサンドと対峙した。おそらくどうやって食べるのか迷っているのだろう。彼女は迷った末、手で持ってかぶりつくという結論に至ったようだ。パンとパンの間から溢れるたまごが彼女の口角につく。わんぱく坊主のような彼女の姿に思わず
「アンバランスだな〜」
と呟いた。
「貴方みたいな人、ナイフとフォーク使ってちょっとずつ食べるイメージです」
彼女はたまごサンドを頬張りながら、頬を赤らめた。
「あ、確かに。文芸女子ならそうするかも」
そういった彼女はフォークとナイフを使おうとしたが、結局たまごサンドを手で持ちかぶりついて、食べた。
それから僕たちは大して話すこともなく、黙々と食事をすすめ、彼女は僕より先に完食した。
「早いですね」
「ふふ、そうですか」
「はい」
「お先です、またどこかで」
「あ、また。どこかで」
彼女はお会計を済ませ、小さな顔に大きなパイロットキャップを被り、店を去った。

「あ、すいませーん。やっぱりお砂糖とミルクもらえますか?多めに」
「かしこまりましたー少々お待ちくださいね」
どんなにお洒落な人を演じても結局お洒落な人になれなかったアンバランスな彼女を僕は忘れることが出来なかった。
僕がこの店に来た時に感じた居心地の悪さは忘れ去ったけれど。

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