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胡桃チョココロネ

店内に漂うバターの甘い香り。
ここ最近は特に、鼻腔が甘さに過剰反応。
それもそのはず、私は恋をしている。
断言してもいい、私は恋をしている。
毎日昼の11時に決まって来るお客さんに、私は恋をしている。
そのお客さんは決まってチョココロネを2個買って帰る。
期間限定の季節のパンには目もくれず、彼はチョココロネにゾッコンである。
彼にそこまで好かれるチョココロネ。
コロネよ、彼を魅了する方法を教えてくれ。
コロネよ、確かに君はフォルムがかわいいな。
コロネよ、求められる時どんな心地がする?
永遠と脳内で繰り広げられる、質疑。応答はない。


彼が初めてこの店に来たのは、確か今年の冬頃。
そうだ、今季最大の寒気を記録した日だった。
仕込みのために朝起きるのも億劫で、尚更寒さで仕事に身が入らなかった。
店のオープンは朝の10時。
こんな吹雪の中、誰がわざわざパンを買いに来るのか。そう思っていた矢先だ。彼が現れたのは。
真っ白な雪を全身に積もらせ、雪を手で払いながら店内に駆け込んできた彼。
「いらっしゃいませ〜」
「チョココロネってあります?」
「あ、そちら右手にございますよ〜」
「あ、、あぁ良かったぁ〜」
チョココロネを見つけた瞬間、雪のせいで強張った顔が溶けていくように柔らかい笑顔に変わり、思わず笑ってしまった。
普通は「雪すごいですね〜」とか「めっちゃ雪被っちゃいましたよ〜」とか軽い世間話から入るだろうと思う。初めての入店なら尚更だ。しかし彼の第一声は「チョココロネありますか」だった。どんだけコロネ好きなんだよ!とツッコみたくなると同時になんておもしろい、可愛らしい人なんだろうと思った。パンがすごく好きなんだろうな、とも思った。彼は慣れた手つきでチョココロネをトングで器用に2個取る。一切無駄な仕草が無い。チョココロネを見る時の笑顔がこんなにも輝いている人は到底いないだろう。チョココロネに惚れ込んでいる様子だった。
「お預かりしますね〜、チョココロネ2つで540円になります」
「安っ、、」
「ふふふ!そうなんです、安くて美味しいがこの店のモットーです」
「モットー、、もっと!もっとちょうだいよ!」
やばい。おもしろすぎる。変すぎる。魅力的すぎる。
「えーと、なんですか今の?」
「今のってなんのことですか?」
「あ、いやあの『もっとちょうだいよ!』って」
「モットーっておっしゃったから、もっととかけてみようかなって」
「あぁ、それは分かりましたけど、、」
変なことを言ったという自覚が無いあたり。最高に変だ。愛しい。彼が全身に浴びていたはずの真っ白な雪はいつの間にか水と化し、そのせいで着衣したままシャワーを浴びたみたいに全身がびしょびしょになっていた。
「拭きますか?」
「あぁ、えーと、、」
「タオル持ってきますね!」
「タオルありますよ!僕持ってます!」
「持っているんですか?じゃあ、、」
彼はびしょびしょの鞄から小花柄のハンカチを取り出して、私の手の甲に付いたチョコをそっと拭き取ってくれた。
「、、え?」
「はい、これでよし!と綺麗になりましたね、僕も実はずっと気になってたんですよ」
「ええ、、ああ、、ははははっありがとうございます」
「なんで笑ってるんですか?」
「いやいや、お客さんびしょびしょだから私はお客さんを拭いてあげようかとタオルをね、探しに行ったんですよ」
「、、!」
文字通り目をまん丸にさせて、少し頬を赤らめた彼は今すぐにでも抱きしめたくなるほどに愛くるしかった。
「お会計、、まだでしたよね?」
「あぁそうでしたそうでした、500、、40円でしたよね?すみません」
「いえいえチョココロネ、お好きなんですね」
「ええ、まぁ、、」
「お店入られて、第一声がチョココロネありますかでしたし、チョココロネの掴み方とかもなんかプロっぽかったですよ」
「にひ!、、慣れてるんですよね。もう日課になっているというか、、」
笑い声がにひ!なのを受け流しつつ、続ける。
「日課?へぇ、毎日食べてるんですか?」
「あ、いえ毎週水曜日だけです」
確かに今日は水曜日だ。毎週水曜日にチョココロネ。とてつもなく良い日課だ。
「パンをそんな風に生活の一部と捉えて下さって、パン屋としてもすごく嬉しいです」
「いやいや、、、くるみも喜びます」
「くるみ?、、胡桃パンもお好きなんですか?」
「にひひ!店員さん、おもしろいですね。彼女です。彼女の名前です。くるみっていうんです」
「え?、、ああ!彼女さん!それは失礼致しました!」
「毎週水曜日にチョココロネを食べる。それが彼女の日課なんです」
「そうなんですか、、、!」
「実はチョコもパンも僕、あんまり好きじゃなかったんですけど彼女の影響で食べてみたらすごく美味しくて!」
「ええ!」
「今ではチョココロネの虜です、、にひっ」
私に笑いかけたくしゃくしゃの笑顔が無邪気すぎて私には耐えられなかった。こっちを見ないでくれ。そんなに無邪気な顔で。
「ごめんなさい、長々と話してしまって。くるみさん待ってらっしゃいますよね、こちら商品になります!またお待ちしております!」
「いえいえ、店員さんとお話しできて楽しかったです。はい!もちろんです!また、くるみも連れてきます」
「はい、ありがとうございました」
「どうもありがとうございました」
「雪、お気をつけて」
「店員さんも、お気をつけて」
律儀に深々とお辞儀をしてお礼を言う彼はやはり少し変わっていて魅力的だった。雪の中に消えていく彼が見えなくなっても彼の残像と声が頭に、目に、耳にこびりついて離れなかった。

店内に漂うバターの甘い香り。
ここ最近は特に、鼻腔が甘さに過剰反応。
それもそのはず、私は恋をしている。
断言してもいい、私は恋をしている。
毎日昼の11時に決まって来るお客さんに、私は恋をしている。彼の隣には決まって同じ女性がいる。
そのお客さんは決まってチョココロネを2個買って帰る。くるみさんと共に。
期間限定の季節のパンには目もくれず、彼はチョココロネにゾッコンである。チョココロネが大好きなくるみさんにゾッコンである。
彼にそこまで好かれる彼女。
くるみよ、彼を魅了する方法を教えてくれ。
くるみよ、確かに君はフォルムがかわいいな。
くるみよ、求められる時どんな心地がする?
永遠と脳内で繰り広げられる、質疑。応答はない。

気づいているだろうか、
私が彼を好いていることを。
気づいているだろうか、
チョココロネに隠し味を入れたことを。
今日も2人はチョココロネを仲良く食べるんだろう。
美味しいねと言いながら食べているんだろう。

【当店限定!お手製胡桃チョココロネ!】
気づいているだろうか、隠し味の正体を。

店内にはバターの香りが漂っている。

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