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13 最終決戦 / ぐっち

 病院からの電話が鳴ったのは、入院して三日目の夕方4時ごろだった。
「お産が進んできていますので、今からお越しください」
思っていたよりも事務的に要件は伝えられた。それはそうか。こちらは一生に一度かもしれないタイミングを今か今かと待ち続けていたが、病院としてはいつものことなのだろう。もちろん悪い意味ではない。
今はコロナの影響で、立ち合いは分娩室に入ってからになるのだ。そして出産後も付き添いは30分以内と決められている。
それでも妻が最も苦しい戦いの時に傍にいられるだけで本当にありがたい。だからといって祈るほか何ができるわけでもないのだが。
 分娩室に入ると、妻の戦いはもう始まっていた。そこに至って初めて陣痛には波があることや、それがだんだん短く大きくなっていくことを身をもって知った。落ち着いている時は少し会話ができるのだが、波が来ている時はそれどころではない。
僕はただただ妻の手を握って身体をさすることしかできなかった。
男は役に立たないぞ。3回目。
死にもの狂いというのは文字通りこのことなんだと思った。これほどまでに命懸けで自分は何かと戦ったことはこれまであっただろうか。
次第に会話もできなくなっていった。ただひたすら妻は眠い眠いと訴えていた。助産師さんは、眠かったら寝てもいいですよと言ってくれたが、痛くて寝ることすらできないようだった。
そんな中でも、助産師さんの
「頭が少し出てきましたよ!」
という声かけにはかろうじて力のこもった返事があった。
 最後の最後には二人とも泣いていた。いや、泣いている種類は違ったかもしれない。僕は感動でこみあげてきたのだが、後から聞くと妻はただただ痛くてわけがわからなかったそうだ。
渾身の力を振り絞ったその瞬間、
「赤ちゃん生れましたよ!」
という助産師さんの大きな声とともに、弱弱しい泣き声が分娩室に響いた。まだとぎれとぎれではあるが、元気にこの世に生まれてきたことを伝えてくれる声。他でもない、世界に一人だけのわが子の最初の声だ。
「聴こえるな」
「うん、聴こえる」
放心状態の妻とかろうじて交わすことができた会話だ。でもそれだけで十分だった。
「本当によく頑張ったよ!頑張った!」
僕は妻にただただそう繰り返した。
 その日、我々家族にとって一生忘れない一日になった。2728グラムの女の子が、元気にこの世に誕生してくれた。
生まれたての赤ちゃんは暖かくてコロコロしていてふんわり柔らかい。そして何より小さい。赤ちゃんにとってはなんのこっちゃわからないのだろう、足をバタバタ動かしてみたり腕を曲げてみたり、大声で泣いてみたり。
これまでへその緒を通じて食べ物も酸素も勝手に送られてきていたのに、それが急になくなって呼吸はしないといけないしお腹は空くし…。
でもこれが赤ちゃんにとっての最初の試練なのかもしれない。我々にとって大きな試練だったように。
 妊娠という、10ヶ月にも及ぶ長い長い戦いはこうして終わりを告げた。ここからは新たに3人での物語が始まる。
これまでよりももっと壮絶な戦いになる時が来るかもしれない。育児、子育て、進路…。考えだしたらもう切りがない。
でもそれ以上に明るくてよく笑う家庭になるはずだ。我々夫婦がずっとそうだったのだから。
3人の物語はまだまだ始まったばかりである。
(終わり)

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