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宣伝過多

映画を娯楽として観ることが少なくなりました。

そもそも映画は、日本だけでも年間600本近く作られているらしいので、すべてに目を通すことは到底不可能ですが、それにつけても観なくなりました。
私の場合、自分でもあんまり出来の良くない「映画のようなもの」を作っているので、そっちのほうに時間が取られているというのもありますが。

コンテンツ過多は一昔前から指摘されていますが、宣伝過多に関してはあまり取り上げる者がいません。

何故なのでしょうか。

『君たちはどう生きるか』が、宣伝を最小限にすることによって逆に期待値を上げていった戦略が記憶に新しいですが、あれがまったく新しい試みではなかったにせよ、目を見張る成功をもたらしたのは、昨今のメディアを通じて行われる「一斉送信メール」とよく似たマーケティング戦略に辟易している人が多かったからではないかと分析しています。

「一斉送信メール」は、送り手側からみると、不特定多数に向けて同工の文言を送信することで、大幅にコストを抑え情報の共有を可能とするメリットがあります。一方、受け手側からみると、これほど退屈で興味を惹かないメールはありません。

たとえば業務連絡は「一斉送信メール」で為されることが多いですが、返事は、大抵「かしこまりました」や「よろしくお願いいたします」で充分だったりします。懇切丁寧な返答を返す者はまずいないのではないでしょうか。

「クーポン」や「お買い得情報」などの営業メールになると、最早「迷惑メール」と大差がない気がします。

そんなことは分かり切っている。だからこそ「スルースキル」=鈍感力が大事なんだと人はいうかもしれません。
しかしそれらもまた、過剰な「一斉送信メール」や「迷惑メール」などが醸成した副産物かもしれません。

映画宣伝が「一斉送信メール」の形態を堅持し、「あなたに興味はないけど、ぼくには興味を持ってね」というようなスタンスで観客に迫れば、当の観客は鍛え上げられた「スルースキル」を発揮し、映画館から遠のいていくだけのような気がするのですが、どうなのでしょうか。

2023年の年間興収だけみると、アニメだけでなく大手映画会社による邦画実写も好調らしいので、「一斉送信メール」宣伝は、まだまだ有効といえるのかもしれません。しかし、単館系作品も同様の宣伝を踏襲すべきかどうかは分かりません。私のように娯楽として映画を観なくなった層には、どうしても一種のバイアスのように映ってしまいます。

ちなみに今年観た映画で私が感銘を受けたのは、リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』と『工場の出口』でした。

パブリックドメイン作品は、100年後に残るだけあって名作が多いのですが、無料で観ることができるため誰も宣伝をせず、人口に膾炙もしません。

しかし裏を返せば、こうした作品こそが、何のバイアスもなく観ることができる純粋な映画体験であり、映画の真価とは、興行収入や利権関係者による推薦や誘導で決定されるものではないと示し続けているようにも思えてきます。

ところで、先のリュミエール兄弟が「シネマトグラフ」を開発して以来、実は映画自体が一種の「一斉送信メール」になってしまった可能性もあるのですが、その話はいずれまたどこかで――。


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