明滅工場

「保身の帝国」から身を守る術を模索しています。

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最近の記事

「映画の細胞」誕生秘話

日本では、年間600本程度の映画が制作されているそうです。 もちろん、そのすべてに目を通すことはできませんし、鑑賞したとしても、本当に記憶に残るのは年に数本あれば良いほうだと思います。 では、なぜ記憶に残る映画とそうでない映画があるのでしょうか。 私の場合、鑑賞時の自分の気分に合ったものや、もともと興味があったテーマを深堀りしているような映画が、その後も大切なものとなる傾向がある気がします。つまり、当時の私が置かれている状況や問題と関わりの薄い映画は、ただ消費されるに留まっ

    • 『一関』

      川をはさんで向こう岸におだんご屋が見えます。 その店のおだんごは空を飛んでとどくのだといいます。 「立ち入り禁止」の看板をまちがって乗り越えないように気をつけながら お客さんたちがカゴの中にお金をいれて、トンカチで板をカンカンたたきます。 すると、カゴがワイヤーにひっぱられて、向う岸にあるお店の中へひっぱりあげられるのです。 それからしばらくすると、またカゴが降りてくるのですが、今度はちゃんとなかにおだんごとお茶が入っています。 父によると、これは一ノ関市厳美渓の名物だと

      • 宣伝過多

        映画を娯楽として観ることが少なくなりました。 そもそも映画は、日本だけでも年間600本近く作られているらしいので、すべてに目を通すことは到底不可能ですが、それにつけても観なくなりました。 私の場合、自分でもあんまり出来の良くない「映画のようなもの」を作っているので、そっちのほうに時間が取られているというのもありますが。 コンテンツ過多は一昔前から指摘されていますが、宣伝過多に関してはあまり取り上げる者がいません。 何故なのでしょうか。 『君たちはどう生きるか』が、宣伝

        • 『タイリング・ワールド』

          父と母がアメリカに出かけたので、ぼくが留守番することになった。 人の少ない小道を、年甲斐もなくケンケンパをしたりしながら進んでいると、何度も来た道なのに迷いそうになり、真面目にちょっと焦った。それくらい、何か景観が変わってしまっていたように思えた。 近所の床屋は潰れ、同級生のやっていたバーは廃れていた。学校の横を流れていた河川も全部埋め立てられていた。駅の方まで等間隔に続く街灯は、新品のブルーライトでぼくの影を明るく照らしだした。遠くのほうに、緑色のフェンスと生コン工場の

        「映画の細胞」誕生秘話

          『カメムシ』

          夜勤中に新しい工場長がやってきたので、ぼくは挨拶をした。 立花というその男は、ぼくよりも幾分背が高くて、年齢も一回りくらい若い印象だった。 ここのシステムについて二三聞かれたが、正直いうと、ぼくはここで何が作られているのかよく分かっていない。分からないまま24年も働いてきたのだから大したものだと思うが、その間何をしていたのだろうと考えると、実のところ何も思い出せず、胸の奥がぎゅっと冷え込むような気がした。 ――それで、こっちは何があるの? ――あ、はい。シュートとタンクっ

          『カメムシ』

          最近の映画手法

          年末の予定などを少し。 『Arrivée des trains au 21ème siècle』が「Future Vision Festival」の"NON-NARRATIVE"部門にノミネート。12/16に東京で、1/6にはアムステルダムで上映されるようです。 また12/22には、旧ソ連の防空壕にあるBomba Galleryによる「Bomba Video Club」というイベントで『PAN AND KAN』が上映されます。 年明けの1/5~1/9には、インドの「In

          最近の映画手法

          『黒い着ぐるみを着たヘンな人』

          ――熊が出たんだよ。危なかった。今、逃げてきたんだ。 ぼくは自転車に鍵をかけるのも忘れて、居間に寝転んで野球を観ている父と兄に、今さっき起きたことを説明しようとした。 ――何が出たって? ――すぐそこの、ほら、駄菓子屋んとこ。 ――熊が? あんなとこまで来ねてば。 ――マジで来てたんだって。 ――本当だったら、今頃大騒ぎだべ。誰も騒いでねでねか。 言うと、二人はまた、テレビの野球中継へ意識をやった。 だけども、確かにぼくは見たのだった。 橋の袂に黒い着ぐるみを着たヘンな

          『黒い着ぐるみを着たヘンな人』

          「映画の細胞」とは?

          パンデミック以降、ミニシアターが次々と閉鎖されてゆくのを観てきました。緊急事態宣言が解除された今も客足が戻ったとは言えず、代わりに映像配信サービスが隆盛を極めています。4K対応の高画質映像には、個人情報保護の目的で施されたモザイクが犇めき、ポリコレと表現の自由を巡る議論は水平線を辿るばかり。パワハラやセクハラも枚挙にいとまがなく、映画業界全体が機能不全に陥っています。 一体何が原因なのでしょうか。 リュミエール兄弟がシネマトグラフを開発して以降、映画はマスに向けて直線的に発

          「映画の細胞」とは?

          『耳かきのこと』

          タクシーにゆられながら、私は恋人に耳掃除をしてもらっている。 なだらかに続く高速道路は、車内にいかなる走行音も伝えなかった。 無音のシートに沈みながら、私は夢を見る。 その夢の中で、私は友人らと能楽堂で能を観ていた。 演目は分からない。傍らには恋人もいる。 彼女は耳かきをしておらず、私自身が細長い金属の耳かき棒で掃除している。だが、おそらくは、幽玄の美より耳の中に興味があったのだろう。力を入れ過ぎて、件の棒を本舞台の中心へ投げ飛ばしてしまった。 沈黙の多い濃密な時空間に、

          『耳かきのこと』

          『ソーシャル・ディスタンス・ダンス』歌詞

          cloud monitorさんとミュージック・ビデオを作りました。 映画『sfumato』の劇中歌です。 Location: Site of Reversible Destiny—Yoro Park © 1997 Reversible Destiny Foundation. Reproduced with permission of the Reversible Destiny Foundation https://youtu.be/iHlPwd9Af4s?si=h1wa

          『ソーシャル・ディスタンス・ダンス』歌詞

          「元の生活」

          2022年、8月某日、私は友人O氏と映画を観る約束をした。世間は「第7波」の真っただ中であった。 日曜日の渋谷駅で待ち合せるのは、やや勇気が要った。 炎天下を跋扈する人々にはノーマスクの者も多く、見当識を失いそうになる。 実のところ、こんなにも蒸し暑い日に呼吸を妨げる布切れを装着しながら、人いきれで充満した交差点を警戒心いっぱい往復している私のほうがどうかしているのではないか、等と訝しみながら。 『sfumato』というドキュメントを壊れたカメラで撮った時も、私は別にマ

          「元の生活」

          私達は“ケガレ”ている

          日本には、“ハレ”と“ケ”という概念がある。 “ハレ”は儀礼や祭を指し、“ケ”は「日常」を表している。 300年前にイエズス会が刊行した『日葡辞書』には、“ハレ”は「Fare」と表記され、“ケ”は「Qe」と表記されていた。 高度経済成長以後、日本は“ハレ”の状態を維持してきたような気がする。だが、バブル崩壊後、二つの概念は曖昧になり、パンデミックをきっかけに、「日常」が「非日常」に変わった。 “ハレ”は“ケ”となり、“ケ”が“ハレ”となったのである。 緊急事態宣言以降

          私達は“ケガレ”ている

          『ほうき星のおそうじ』

          先日、国立天文台でハレー彗星の約五倍の巨大彗星が発見された。 そっから先は、1910年に起こったのとそっくり同じことが起こった。風説の流布。そして、人類の滅亡だ。 コメット・ハンター曰く、一週間後、彗星が地表をかすめる時、尾に含まれる毒素で地上の人間は今度こそ確実に窒息死してしまうのだそうだ。 世界中で疎開が始まっていた。しかし、みんな何処へ? ――しずる? しずるか? よかった。やっとつながったよ。あのさぁ、今さぁ。おれ、出口の家。うん、荷物出してるとこでさ。うん。そっち

          『ほうき星のおそうじ』

          『雲の侍』

          彼女達は、内と外の姉妹と呼ばれていました。 姉は家の中でひねもす映画を観ており、妹は近所を自転車で走り回るアウトドア派だからです。 近所では少しばかり有名でしたが、姉が何のために籠っているのか、妹が何のために走り回っているのか、本当のことは誰も知りませんでした。 ある日、自転車籠に洗面器と着替えを入れて銭湯に出かけた妹は、はたと道に迷ってしまいました。 ――ケッタイやなぁ。いつもと同じ道のはずなのに、いつもと違うとこに出てもうたやないけ。 妹はそのように一人ごちると、彼

          『雲の侍』

          本体を振り返る影

          ご無沙汰しております。 今年は引っ越しを二度繰り返し、その間、コロナ禍においても持続可能な映画制作とは何ぞやと模索しながら体制を整えてまいりました。 まずは4月、木澤航樹さんが主宰する「東京フェイクドキュメンタリー映画祭」のお手伝いをしました。 打ち上げの場で、『合成人間』の芹沢さんらとお会いして「カメラと視線」に関して幾つか話し合えたのが収穫でした。 夏には、同じく木澤さん経由で、高校生が主宰する「ダチュラフェスティバル」のドキュメントを撮影させていただくことになり

          本体を振り返る影

          Like a hungry wolf

          気候変動により、五臓六腑に染み入るような暑さにみまわれる日も多くなってきた。 『北風と太陽』ではないけれど、寒さは服の足し算で補えるが、暑さの引き算には限界がある。公的空間で全裸になるわけにはいかないし、皮膚を脱ぐわけにもいかない。 だけどどういうわけか、ここ数年、猛暑でも(いや、猛暑の時にこそ)黒いアームカバーをして外出している妙齢の女性を多く見かけるようになった。 あれは何なのか。 ぼく自身、真冬にアイスを食べるのが好きなタイプなので、真夏にダッフルコートを着て歩

          Like a hungry wolf