絶望を感じながらも

生理の始まる前日に、これといったきっかけがないにも関わらずこの世の終わりかと思うくらいの絶望感に襲われるのは、また妊娠できなかったという体からの悲しみの訴えなのかもしれない。

仕事をしていて、自分にはこの仕事は本当に向いていないと思う時、少し前なら辞めようと思えたが、続けてしまった今、辞めることはできない。
辞めて他のところへ行っても、結局自分は自分のせいで苦しむのが目に見える。
自分の苦しみは誰のせいでもなく、自分のせいだということを嫌というほど感じてきた。
苦しみを減らすには、変わろうという絶え間ない努力が必要だ。
自分を変えるほどの努力をできない、自分はやはりどうしようもないクズなんだと、幾度となく思ってきた。

受け身を辞めようとしている。
〇〇と言われたからこうする、〇〇されたからこうする、から脱却したい。
昔から、自分はなにかを疑問に思って追及するということを全くしなかった。
例えば、1たす1は2と教えられて、たすの意味が分からなくても、そういうものなんだと飲み込んでいた。そういうものなんだと飲み込む子供は扱いやすく誰にも迷惑をかけないので、その時は上手く生きていけていると感じていた。
私の弟は、そんな私とは正反対で、1たす1は2ってなんで?と聞いてくるような子供だった。たすの意味をきちんと理解していない私は、そういうものなんだよと半ば怒りながら返す。それに納得できない弟はもっと追及する。私に対してだけではなく、周りの大人に対してもそうだった。その時の私は、大人と口喧嘩をしてまで屁理屈をこねる弟の姿を見て、馬鹿だなと本気で思っていた。馬鹿なのは私の方なのに。
感じた疑問を表に出さないという習慣がすっかり身についてしまった。幼い頃からの態度を変えるのは大変なことだと思うが、まだ20代のうちに気づけただけ良いと思うことにする。

自分の人生に、責任を持ちたい。持つべきだ。

#絶望 #受け身 #人生 #エッセイ

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