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「空」はあるもののためにある

とりあえず、キャンピングカーが欲しいジェニーです


気軽に気楽に猫とお出かけするには、キャンピングカーが一番いいなと


東北は特に猫と泊まれる宿が少なく、あってもお値段お高め

日本の観光事業のやり方が嫌い
人手不足とか、コロナの影響とか、あれがこれがとか
なんか違う
そもそも違う
ホスピタリティも勘違いしているっ
動物福祉も人間の福祉も上辺だけ
義務とか、決められているから遂行するって感じで
そもそも心がない

あー、外国の方もそんなことを言っていた

とにかく、私自身古いのは大丈夫でも清潔感大事だし、においとか音とか気になるし、お化けとかもってのほかだし、猫は普通の車では上下運動ができないので

部屋みたいな車で、移動できれば猫も人も安心快適っ♫




とゆうわけで、私は猫との生活を満喫しています
猫が可愛すぎて、愛おしすぎて、生きる源であります


それでも、7年前に亡くなった愛犬や、その前の愛犬たち、その後保護した愛犬のことも、失った悲しみは消えません


消えないけれど、逆に、私の命ある限りは、動物のために生きたい


中でも、15年一緒だった、初めて自分で決めて、自分が中心にお世話をしていた子が亡くなった時は本当に辛くて

よく、ポッカリ心に穴が空くって言うけれど

ポッカリどころか、ガッツリ自分の大部分を失った感覚でした


病気が見つかってから半年間は必死で治療法などを調べて、試して、昼夜問わず看病したこともあって、身も心も憔悴しきっていました

もう、やってあげられることがない、それが悲しい

ニュースやネットや、ご近所のわんこを見ても涙が出てしまうので、
何も見れないし、見たくない

心臓だけが機能し、生きている状態でした


それだけ、自分にとって大きな大きな存在で

・・・

人は、大切な存在を失った時、悲しみより先に、怒りが来ることがあるそうです

誰かや、何かにぶつけないと居られない

防衛本能でもあり、悲しみの感情の代わりに怒りを出しているとも言える


対象がなんであれ、私は、その気持ちは分かります

「お前のせいだ!」って言いたくなる気持ち、分かるし、言っていいって思う

その状況にもよるけれど、言われた方はキツイけれど

言われた方は、私のせいなんだ、じゃなくて、言った人がそれほど悲しいんだって
辛くて苦しくてどうしようもなくて誰かのせいにしないと居られないんだって
分かっていれば、大丈夫かなと

いや、本当に責任問題って場合もあるけれど


うーん、ここはケースバイケースだけれど


やっぱり、言わない方がいいのかな

私は誰のせいって言うより、自分のせいだって、自分を責めてしまって苦しかった

それはまるで自傷行為だった

自殺と一緒

頭の中で殺してる


それはそれで、苦しい


どれが正しいか、分からない

けれど、出てきた感情は、出した方がいい

出していいんだよって、自分に許可するだけで、回復の差が出ると思う


早く元気になるって、無理だから

悲しくならないなんて、無理だから

忘れようなんて、もっと無理だから


自分の中で、「あいつのせいだ」って憎んで抹殺してもいい
そう思ってしまったら、そう思ってしまったことを認めていい
妄想だけなら自由だから


自分の中で、「自分のせいだ」ってなったら
一旦は、認める
「そうだよね」「自分が悪い」「本当に悪い」って
でも、今度は、「それでもいい」って認める
責めていい自分と、悪者の自分の味方になる自分とを作る


だって、自分は存在していかなきゃいけないから


悪くても、間違えたとしても、その時できなかった自分を認めながら、
できなかったことはそう成ったからそうだっただけで、
今は違う、気付けているし、これからは変えられるから

一緒に、今度はこうして行こうって言ってあげられる



それでも、心に空いた穴は埋まらない


自分が自分を認められるように成っても


前を向こうって成っても


一定期間は穴が空いたまま


なぜか、風が強い日は身体を風が通り抜けていく感じがして寒いし痛くなる

けれども、そのポッカリ空いた穴には


いつか、必ず、別の幸せが入ってくる

そのための穴なんだと

私は思います


色即是空 空即是色


自分という人間の器の中に、入ってきてくれた可愛い愛犬

きっと定められている時間だけ一緒にいてくれて

お役目が終わって、私から肉体は離れてゆくけれど

空いたスペースは、悲しみのためではなくて、怒りのためでもなくて

寂しさを粗末なもので埋めるためでもなく

別れを惜しみながら、共に過ごした豊かな喜びを噛み締めながら

自分を癒し、休養をとり、心も身体も大掃除して

自分の人生の全てを受け入れ

また、その空いたスペースを整え、ちょうどいい愛の塊を迎える準備をする


私は、4年もかかったけれど、思いがけず、推定19歳の老犬を保護し、1年弱お世話ができた

その前の愛犬の最期にできなくて大後悔したことを、その子にできた

本当に感謝しかない


そこからまた、悲しみの時を過ごしたけれど、さらに愛の塊である保護猫を迎えることができた


失う怖さも、悲しみもなくならないけれど、前よりも分かってきた

どれだけ今の時間が尊いか

また、どれだけ自分ががんばってもできることと、できないことがあること



後悔は絶対残ること



だからこそ、今のベストを尽くし、できない自分にも許可をする



今の猫に自分なりのベストな環境と健康をあげたいなと思う


そして、保護犬か保護猫をもう1匹お迎えして、動物同士のじゃれあいとか、
グルーミングとかで、もっと幸せに成ってもらって、お留守番も平気に成って欲しいなと思う


まずはキャンピングカーだけれど、落ち着ける家があればもっと嬉しいな!



大型犬が存分に走り回れる広ーい庭とかあって、
吠えても大丈夫なように近隣に民家がないところがいいな


でも、野生の動物は来てほしい♡


野生の動物の憩いの場所を創りたい♡


むしろ、野生動物のための畑と果樹園を創りたい♡


池もあって、温泉もあって、水を飲んだり、水浴びしたり、
野生の猿とか鹿が温泉に入っていたら感動♡


本当は象も欲しい。


象、かわいい♡

サイもかわいい♡



家が何個もあればいいのだが♡



妄想が暴走し出したので、野生動物

ではまたっ


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