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花幻忌|3月13日 を前に|原民喜とヒロシマ


花幻忌かげんき永遠とはのみどりをくちびるに
 遺せしひとに風よたなびけ / 星の汀


🌸花幻忌

毎日のトップニュースで報道されるウクライナ情勢。

核による攻撃についても言及され、遠く離れた広島にいる私が、なんだかわけもなく不安に駆られる。

こういうとき、原爆ドームの足もとに立って、空と木とドームを見上げたくなる。

今回は、詩人・小説家である原民喜の命日が近いということで、彼の詩碑を写してきました。

原爆ドームの東側に立つ詩碑。遺作の詩『碑名』より


近づいてみます。遺筆をそのまま刻んだものだそうです。


命日313日は《花幻忌》と呼ばれています。
裏側。佐藤春夫による追悼文


英訳版


南側の噴水。お水が捧げられる平和公園


噴水を囲むお花
原爆ドーム前では、この日もガイドさんによる解説が聞こえてきます。
「中心温度は1,100、地表は2,000℃。人間の皮膚の厚みは2mm...
ドームの中を覗くと、「おいで」って言われる。
まだ行かないよ...そう答えてから。
そっと離れて、元安川の水を見る。向こう岸、右端の石段は、灯籠流しをする場所。



🍃『遥かな旅』・『死と愛と孤独』より

1905年広島(中区幟町)生まれ。
1920年代、慶應義塾大学英文科に進学、『三田文学』などに短編を発表。
1933年、貞恵さんと結婚。
1944年秋、貞恵さんに先立たれ、翌年1月、遺骨を抱いて千葉から広島へ引き上げる。
同年1945年8月6日に被爆。
その後、原爆の惨状を書き留めた『夏の花』などを著す。


妻への想いを綴った『遥かな旅』、そして『死と愛と孤独』。

......彼が結婚したばかりの頃のことだった。妻は死のことを夢みるように語ることがあった。若い妻の顔を眺めていると、ふと間もなく彼女に死なれてしまうのではないかという気がした。もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残ろう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……と突飛な烈しい念想がその時胸のなかに浮上ってたぎったのだった。
『遥かな旅』
まさに私にとつて、この地上に生きてゆくことは、各瞬間が底知れぬ戦慄に満ち満ちてゐるやうだ。それから、日毎人間の心のなかで行はれる惨劇、人間の一人一人に課せられてゐるぎりぎりの苦悩――さういつたものが、今は烈しく私のなかで疼く。それらによく耐へ、それらを描いてゆくことが私にできるであらうか。
 嘗て私は死と夢の念想にとらはれ幻想風な作品や幼年時代の追憶を描いてゐた。その頃私の書くものは殆ど誰からも顧みられなかつたのだが、ただ一人、その貧しい作品をまるで狂気の如く熱愛してくれた妻がゐた。その後私は妻と死別れると、やがて広島の惨劇に遭つた。うちつづく悲惨のなかで私と私の文学を支へてゐてくれたのは、あの妻の記憶であつたかもしれない。そのことも私は「忘れがたみ」として一冊は書き残したい。
 そして私の文学が今後どのやうに変貌してゆくにしろ、私の自我像に題する言葉は、
死と愛と孤独
恐らくこの三つの言葉になるだらう。
『死と愛と孤独』


「一つの嘆きよ、僕を貫け」(『鎮魂歌』)と、妻の死を悼んだ彼は、無数の人々の死を胸に、終戦後5年ほど生き続けました。そして、1951年、朝鮮戦争の勃発に衝撃を受け、線路に身を横たえたのだそうです。

友人たちへ宛てた17通の遺書。そこに記された、この遺作の詩を結ぶ「一輪の花の幻」に、こちらの一節を思います。

焼跡に綺麗な花屋が出来た。玻璃越しに見える花々にわたしは見とれる。むかしどこかこういう風な窓越しに お前の姿を感じたこともあったが 花というものが こんなに幻に似かようものとは まだお前が生きていたときは気づかなかった。
『遥かな旅』



🌿永遠とはのみどり

広島の小学校でも歌われる、この歌。
当時の惨劇を知るにつけ、ただただ混乱しそうになるけれど、「死と焔の記憶に よき祈よ こもれ」は、すっと心の向きを整えてくれる言葉です。

永遠とはのみどり
(詞:原民喜/曲:尾上和彦)
 
ヒロシマのデルタに 若葉うづまけ
死と焔の記憶に よき祈よ こもれ
とはのみどりを とはのみどりを
ヒロシマのデルタに 青葉したたれ

広島市中区橋本町。広島駅から徒歩10分ほどの、京橋川沿い、原民喜ゆかりのシダレヤナギ。

3月のこの時期、まだ葉はなくて、枝だけがふわりふわりと風にそよぐ
夏に撮った写真がどうしても見つからず...
でも、葉っぱがないから、指先で握手してきました
木の足もと。川筋には他にも、被爆樹木のプレートが散見されます。
『夏の花』は、手に取ってはみるものの、どうしても読めない本。一生、撞着し続ける本かもしれない。
勇気のあるときに、周辺の小品を開いて読む。このような繊細な感覚の持ち主が、あの日々をどうやって生き抜いたのだろうと思いつつ、瞑目する。
柳は何も語らず、今年も芽吹いて、優しい緑を茂らせる

🌱あとがき〜お伝えしたいこと

《花幻忌》をこのnoteに取り上げてみようと思っていた矢先の、ウクライナ侵攻。
noterのみなさんがそれぞれの考えを表明しておられるので、私の記事も少し拡大してみました。(ほんとはもっとシンプルに写真だけ載せるつもりだった。)

中でも、菊地正夫様の、平和への強い願いを受けて書いたものと言えるかもしれません。
ロシアを注視しNoを言うのと同時に、それに乗じた軍拡の動きを警戒しなければならないこと。

核のスイッチに目をやる前に。
軍拡を考える前に。
今一度、ヒロシマで起きたことを思い出していただきたいのです。

軍都でもあった広島で、それでも当然ながら、泣いたり笑ったりしながら日常生活を送っていた人々がいて。
そこに使用された核爆弾が奪ったあまりにも多くのもの―。
奥様を心から愛しておられた詩人の、静かな烈しい弔いの期間までも奪っていった経緯を通して、"軍拡" =戦争への道...その行き着く先を、喚起できればと願う次第です。

核兵器禁止条約の署名国・批准国一覧(広島市のHPより)


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