見出し画像

イタリアの秘境を行く #4 アブルッツォ編 新星たちのワイナリー


トレッビアーノ・タブルッツォの歴史ある土地で/ティベリオ

日本から出発する直前も直前に、インポーターのラシーヌさんを通じてコンタクトを取ってもらったのが、ワイナリー<TIBERIO>ティベリオだった。ラシーヌの代表、合田泰子さんの推薦で、女性醸造家というのも興味惹かれた。海辺の都市、ペスカーラから23マイル、アブルッツォの人々にとっての聖なる山、グランサッソとマイエラ山麓にあり、標高350mの丘陵地。Cugnoli(クンニョリ)という土地にある比較的新しいワイナリーだ。現在ティベリオは、醸造家のクリスティーナとマネージメントを行う弟のアントニオが引き継いでいる。元々は彼らの父、リッカルド・ティべリオが1999年に、トレッビアーノ・ダブルッツォのオリジンのDNAを持つブドウを今の畑で見つけて、土地とブドウに魅せられてしまい、ワイナリーがスタートした。父のリッカルドはアブルッツォでワインの輸出マネージャーの仕事をしていたが、これによって家族の運命が変わった。


醸造家のクリスティーナと愛犬。翌日からニューヨークの出張だったのに時間をとってくれた。トレッビアーノ・ダブルッツォについて大きな学びがあった。

「この畑は耕作放棄地だったので、畑を手入れして再び復活させるには時間がかかりました。99年に畑を取得してから最初のリリースを迎えたのは2004年。私たちはこの畑でトレッビアーノ・ダブルッツォが、他の地域のトレッビアーノ・トスカーノやトレッビアーノ・ロマニョーロ、ルーツが同じとされるプーリアのボンビーノ・ビアンコなどイタリア各地で栽培されてきた品種とはDNA自体が違うということを知ったのです。アブルッツォのトレッビアーノの評価が高くなったと言っても、このことはまだまだ知られていないと思います。というのは、ちょっと複雑なのですが、アブルッツォで栽培されているトレッビアーノの多くが、品種的にはトレッビアーノ・トスカーノなのです」。

トレッビアーノ・ダブルッツォを他のトレッビアーノと見分けるには、葉っぱに5つの切れ目があるのが目印。


畑に残っていた古樹から、彼女たちファミリーはその事実を知り、父のリカルドはその史実とともに、この品種にのめり込んだ。トレッビアーノ・ダブルッツォは、トレッビアーノの一般的な性質と言われるような汎用性のある品種ではなく、どちらかといえば繊細で、寒さにも強くはない。
ティベリオの畑で驚いたのは、ブドウの木2本ずつを支え合うようにしたペルゴラ(棚仕立て)であったことだ。ペルゴラ仕立ては、アブルッツォに古くから根付いているブドウの仕立て方で、強い太陽光を葉で遮り、葉の下で果実を守る棚仕立てと聞いていたが、2本の仕立ては初めて見た。

2本一緒に植えることで競争関係が生まれてこれも木を強くする。夏の暑さの他に冬の雪も大敵で、雪の重さで木が折れてしまうこともある。2本で支え合うことでそれも防ぐことができる。

2本一緒に植えられたブドウの木は、地表だけでなく土の中でもより強く根を張る。ティベリオ独自のやり方で、樹齢55年以上、中には90年という古樹のみの畑を維持する中で生まれた工夫だ。彼らは古樹を復活させるために、マッサル・セレクションと言って、畑の中から異なる優れた性質を持つブドウの樹を選び、台木に接木しながら今の畑を復活させた。トレッビアーノ以外の白品種、ペコリーノやモンテプルチアーノもまた古樹にこだわり、ワイン栽培の歴史が長いことがわかっている自社畑の力を、ブドウとともに確かめている。

「ペコリーノも本来は冷涼品種だから、本当に質の高いペコリーノは山の上でしか育たないのよ」
彼女たちは7つの種類のペコリーノを同じ畑に植えている。そのうちの2種類を比較試飲させてもらった。

右のペコリーノは、桃のような果実感があり、左のペコリーノはベジタブル感、グリーンの印象やローズマリーのようなハーブの感じもある。リリースされるのはブレンドのみ。

この2種類は本来はブレンドされて出荷されるので、その前の状態で味わうのは貴重な体験だった。ペコリーノのバイオタイプ違いの2種は、同じ土地で育っても異なる品種と言われればそう思ってしまうほどに違う。それにしても、高貴な透明感のある味わいだ。それは両者に共通するもので、品種特性というよりティベリオの特性なのだろう。その印象は、チェラスオーロとモンテプルチアーノ・ダブルッツォを試飲して確信となった。


左からペコリーノ(ブレンドバージョン)、チェラスオーロ・ダブルッツォ、モンテブルチアーノ・ダブルッツォ。

チェラスオーロ・ダブルッツォとモンテプルチアーノ・ダブルッツォは、共にモンテプルチアーノ種から造られるロゼと赤ワインだ。チェラスオーロはアブルッツォ特有のワインで、大抵のモンテプルチアーノを醸造するワイナリーが、赤ワインを醸造する序章でこのロゼを造る。ロゼで想像される薄いサーモンピンク色ではなく、もっと赤い色素のあるチェリーレッド。語源のcesaraはさくらんぼという意味で、このワインをロゼのカテゴリーにしてしまうのは、ひょっとしたらチェラスオーロにとってはお門違いなのかもしれない。

ティベリオのチェラスオーロは美しく透明感があり、程よいタンニンと複雑な香りを持ち合わせた、恐ろしい完成度だった。そしてやはり気品に溢れている。モンテプルチアーノを破砕して数時間おき、圧搾せずに果汁のみをステンレスタンクで8ヶ月熟成したチェラスオーロは、クリスティアーナ曰く「ザクロや木苺のような生き生きとした酸があるでしょ。タンニンが少しあることが大事なの。辛いものにも合うし、トマトやツナにもよいと思う」。彼女のチェラスオーロを飲みながら、唐辛子の食文化があるアブルッツォで、チェラスオーロは必然だったのではと思えてきた。赤ワインのタンニンは唐辛子の辛味と相性が悪い。アブルッツォでチェラスオーロが文化として定着してきたのは、赤のついでに造ったワインではなく、そのために造られたワインだからではないか。ロゼワインは、まだまだ赤と比べて格下に見られることが多い。しかし、このチェラスオーロは、赤ワインをごぼう抜きして涼しげな顔をしている。もちろんティベリオはモンテプルチアーノも素晴らしい。よくある野暮ったい南のジャミーな感じが一切なく、洗練されたエレガントな赤。でも、チェラスオーロの不意打ちのような衝撃は大きく、その後私たちは、他のワイナリーでもチェラスオーロを追いたくなってしまったのだ。

地中海のワイン/ファットリア・デル・オルソ

「エミディオ・ペペは有名でいろんな人が行っているから、せっかくアブルッツォに行くなら、知られてない面白いワイナリーも行ったほうがいいよ」。ピエモンテの友人、クラウディオが勧めてくれたのが2021年にできたばかりのFATTORIA DELL'ORSOファットリア・デル・オルソだ。サイトで見てみると、ワインは赤、白、ロゼの3種類のみ。クマ(Orso)の可愛らしいエチケットは新進のワイナリーっぽい。一体どんな人なのだろう。ワイナリーに近づくと、道なき道に突入した。急斜面の砂利道が続き、もう車でこれ以上行けないかもと不安になった。すると人気の全くない陸の孤島から、190cmほどある大きな男性と大きな白い犬が車に向かってきた。チェーザレ・デッル・オルソ。ワイナリーの当主で醸造家のオルソは、ストイックで孤高な人らしいオーラが出ていた。突然きちゃって大丈夫だっただろうかと思いつつ、彼とワイナリー犬、ビアンカに誘導されて畑へと向かう。

天空のワイナリーというのがふさわしい場所。遮るものは何もなく、終日太陽光が巡っている。ピオンバ渓谷にある。

「すごい場所にありますね」というと、堅い表情が少し和らいで「この場所が気に入ったんだ」とオルソ氏。アドリア海からアペニン山脈に向かい、急激に標高が高くなるアブルッツォ州は平地がほとんどない。その急峻な全体を眺める絶景のブドウ畑。「ここなら、理想のワインができると思った」。彼が理想というのは、まさに今見ている風景や、イタリアの歴史を取り込んだ一言で言えば”地中海的ワイン”なのだそうだ。「じゃあ、ワインを飲みにこう。カンティーナはあの辺なんだけど」と彼が指さしたのは、一度谷を下がって上がらないといけない、まあまあな距離に見えた。移動中「モッツァレッラチーズは好きかな」とオルソ氏。突如の質問にやや驚くと、「いや、この近くで妹夫婦が牛を飼ってチーズを作っていてね、美味しいんだよ」。

妹さんのカゼフィーチョ(チーズ工房)作る牛のミルクのモッツァレッラ。渓谷の途中のような場所で周辺に家屋は見えないのに、常連さんがチーズを買いに来ていた。

自分用のヨーグルトを買い、私たちには試食用のモッツァレッラを出してくれた。キュッキュっと鳴る生地は、噛むとジュワっとミルクが溢れ、乳糖の自然な甘みが優しい、本当に美味しいモッツァレッラだった。私たちが買おうとすると「いやいやいや、いいからいいから」と日本人同士のやりとりみたいにお金が行き来し、ついに私たちが折れた。お豆腐屋さんみたいに袋に入れられたチーズが手渡される。イカつい見た目とは裏腹に、とても優しい気遣いの人。ストイックに見えるのは相当シャイなのだな。

カンティーナは、ある意味想像通り。小さなワイン圧搾樹が現役だった。冷房設備もなく、赤も白も、このカンティーナの常温で醸される。

ワインの圧搾機トルキオ。古くからある道具で、これ一機をフル回転させてワインを搾っている。
櫂入れはこの時期毎日の仕事。一人で黙々と櫂入れする姿がよく似合う。

「あまり冷やさないで、常温で飲むほうがいいんだ」と白ワインのボトルを開けて試飲が始まった。エチケットにはビアンコ(白)としか書かれていないが品種はパッセリーナ。隣のマルケ州でも見かける海洋性の品種だ。地中海のワインを表現している彼にとって、品種が何とかは無粋な情報なのだろう。常温、アルコール度数15度の白ワインは、黄金色に輝いてゴージャスな骨格のある液体だった。しかし15度のアルコール感は感じない。骨格はあるけれどボリューミーとも違う。白ワインは、赤ワインよりも醸造工程で温度管理が必要だ。現代醸造では、白ワインは低温で温度コントロールしながら綺麗な酸を生かすことができるようになった。そうした温度コントロールができない時代、どんな白ワインを志向したのか。オルソ氏の白ワインは、その答えを提示しているようだった。ワインの香りは、温度が高いほうが感じやすい。白い花々や蜜の香り、黄色いフルーツ、海のミネラル感、太陽、そんな多様なものを含む液体が、彼の表現したい地中海なのかなという気がしてきた。いいワインだなーっとジワジワくる。

白ワインでも常温ならではの香りの豊かさ。冷やして飲む気はしない。常温がこのワインにとって適温なのだ。


白ワインのタンク。オルソのイラストは、知り合いのロシア人が描いてくれたもの。もちろんモデルはオルソ氏。

カンティーナにはなかったのだが、彼はロゼを本当は飲ませたかったようだった。ティベリオでチェラスオーロに度肝を抜かれた私たちは、オルソ氏のチェラスオーロも飲んでみたかった。案の定「チェラスオーロはロゼって言っても軽いワインではない」と彼は言った。これまたきっと彼的な地中海感があるのだろうな。今回は飲むことができなかったし、ワインはまだ日本に入っていないけれど、なんとか飲んでみたいものだ。ワインを買おうとするとまた日本人的な押し引きになり「遠くから来てくれたから。チェラスオーロはないけれど」と白と赤を計5本もプレゼントしてくれた。5本もどうしようとその時は思ったけれど、心配はまったく無用で、その後続いた旅の途中に飲んでしまった。そして飲めなかったチェラスオーロも含めて、オルソ氏のワインをまた絶対に飲みたいと思っている。


今後の取材調査費に使わせていただきます。