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イタリアの秘境を行く #1 アブルッツォ編 ロレート・アプルティーノ村



秘境が秘境であるということ

どこかに旅に行く時、行きたい場所がいくつかあって、そこを基点に線を繋ぐように旅を組み立てることが多い。でも、今回は様子が違った。行こうと思ったのはコロナ禍の少し前で、漠然とアブルッツォに行ってみたいという気持ちが先にあったものの、具体的にここというのはなかったのだ。きっかけは、おそらく雑誌の記事でみた、トラスマンツァという家畜を大々的に大移動させる習慣がアブルッツォにはあって、その指揮官の女性がいるという話に、自分の見たことのない雄大な風景が妄想のように膨らんでいったことだった、ように思う。でもこれはあくまで一つのきっかけで、根っこはもっと違うところ、情報不感症からの脱却願望のようなものなのだと思う。

今や大抵の場所が、調べれば大量の情報が出てきしまう。そうなるともう、行く前にお腹がいっぱいになる。必要なのは未知感で、知らないものに出会えそうな漠然としたワクワク感があることだ。秘境が秘境であるためには、事前情報が得られないことで飢餓感が生まれ、期待の匂いがあることが大切。その意味で、アブルッツォは十分に要件を満たしていた。行きたいと思ってから3年間、大して情報は増えず、行きたい気持ちはずっとキープされていたのだ。



ロレート・アプルティーノ村と大家族の料理

ロレート・アプルティーノ村に行くことになったのも偶然の重なりで決してこの村が目的地だったわけではなかった。唯一行き先として予約を試みたのは、アブルッツォ州では突出したワイナリー、エミディオ・ペペの経営するアグリツーリズモ。ともかくここを最初の起点にすることだけは決めていた。ところが、エミディオ・ペペの夕飯は水曜日以降でないと予約できないことが事前に判明。到着日は月曜の予定だった。そこでエミディオ・ペペのあるトラノ・ノーヴォに比較的近い都市、ペスカーラという海側の都市にまず移動することにした。

ローマからペスカーラまでは、空港発の長距離バス(FLIX BUS)で比較的移動が簡単。問題はその後。陸の孤島のようなアブルッツォではともかく車が必要だ。そこで次の準備は、ペスカーラからエミディオ・ペペに移動するためのドライバー探しだった。旅の友、イタリア料理の先生の千夏さんは郷土料理を習うのを旅のミッションの一つにしている。彼女がアブルッツオォ在住の人から紹介してもらったアレッシオという男性は、実家が農産物加工などをしていて、家族が料理教室もできて、我々がアブルッツォで食べたいと思っていた伝統的な羊の串焼き料理「アロスティチーニ」も作ってくれて車の運転もOKという。「ペスカーラよりもうちの近所に泊まったら?」というのが彼とその家族が住むロレート・アプルティーノ村だったのだ。

ロレート・アプルティーノの旧市街。丘陵の上で坂が多い。車も入るのが難しいことから近年は平地の新市街に住人は移り住んでいる。空き家となった古い建物は、観光客向けのB&Bや外国人がリノベーションして別荘になっている。

日本から出発する3日前、アレッシオから病気で入院してしまったと連絡が入った。ペスカーラまでは奥さんのマニュエラが代わりに迎えに来てくれて、その後の移動も、私たちが行きたい場所へも彼女が運転してくれるという。出発直前で代替を見つける時間もなく、私たちは彼の提案にのることにした。初めて名前を知ったロレート・アプルティーノは、調べてみるとなかなか可愛らしい印象の村だった。よくよく調べてみるとオリーブオイルの生産量の多いアブルッツォでも特に生産量が多いエリアで、エミディオ・ペペと同じく同州で断突に評価の高いワイナリー、ヴァレンティーニはおすすめされた宿から歩いて7分の距離だった。

なんかおもしろそう。

まったくノーマークの知らない村だけれども、おもしろそうな匂いがする。こうして今回のアブルッツォの最初の行き先はロレート・アプルティーノになった。

樹齢100年を超えるようなオリーブの木が、割と普通に生えている。昨今オリーブオイルの収穫量の激減が危惧されているイタリアだが、他のエリアに比べると比較的状況は悪くはない部類のよう。

ペスカーラで私たちを迎えてくれた代打のマニュエーラの話で、アレッシオの病状はそんなに深刻なものではないものの血圧などの数値が安定するまで病院にいなければならないこと、家族はおばあちゃん、両親、3人の息子と一人娘の大家族で、自家製農産物の加工品のトマトペーストや果実のジャム類などの製造販売、自家用オリーブオイルの生産をしていたりと、いわゆるキロメートルゼロの生活スタイルの家族であることがわかってきた。アレッシオは娘婿として彼女の家に入り、海外に農産加工品を販売したり、村の観光にも一役買っているようだった。

夜20 時を過ぎて到着すると、すでに食事を済ませていた子供達も私たちを迎えてくれて、この家族がイタリアらしい家族と身勝手に想像する家族像に近い期待感が高まった。そして実際にそうだった。
夕食は、地元のサルーミに新鮮な羊のリコッタチーズ、自家製野菜のパン粉焼き、パローテという卵とチーズを合わせたお団子のような郷土料理、卵とペペローネをオリーブオイルでシンプルに炒めたものなど、普段の、でも素材が圧倒的に新鮮でかえって希少な食事だった。自家製のワイン、自家製の今年の新オイル。イタリアに初めてきた時に感動した家族の食卓が長時間の移動で疲れた身体を優しく撫でてくれるようだった。

パスタは、何度発音しても難しいこの地域の伝統パスタでTajarille(タヤリッレ)e Fasul (豆)。軟質小麦と水だけで作るショートパスタで、このパスタにはトンディーノ・デル・ターヴォという豆を合わせ、トマトソースで食べるのが定番なのだと家族みんなで教えてくれた。ターヴォは川の名前で、皮が運んだ砂地で育つ豆は真珠のように白く、丸く、皮が薄い。ロングパスタの細いタリアテッレには魚介を、肉のラグーにはこの地方で最も有名なギターという名前のロングパスタ、キタッラを合わせるのがセオリーだということも付け加えられた。

前菜の盛り合わせ。左が揚げ炒めのようなペペローネと卵。ペペローネの自然な甘味が引き立つ。玉ねぎのトマト煮は軽くヴィネガーが効いている。フレッシュなペコリーノのリコッタ、ペコリーノチーズ、パローテと生ハム。



タヤリッレ。ピエモンテのように卵は入らないがタヤリンのアブルッツォ的な言い方?卵の入らないパスタは、日常のクチーナ・ポーヴェラ(貧しい料理)の典型。
旦那さんの代行でずっと運転してくれたマニュエラ。料理は祖母から母へ、そして彼女に引き継がれている。おそらくその娘にも。このキタッラの道具は水洗いNGで粉を叩いたあとは太陽で熱殺菌するそう。綺麗に使っているのがわかる。
こちらは卵を使うご馳走パスタのキタッラ。100gの00タイプの軟質小麦に1個の全卵という割合。手打ちして出来上がったパスタにはセモリナ粉を非常にたっぷりふっていた。セモリナ粉をあえることで、茹でた時にパスタがだれず、時間が経ってもさっくりとした食感が残る。乾燥した唐辛子をナイフフォークで崩しながら、トマトソースに好みの辛味をつける。

翌日。日本でもアブルッツォ料理の代表として紹介されることの多いキタッラというパスタの作り方を習った。日本でも肉のラグー、トマトソース味で提供されることが多いが、自家製のトマトソースのフレッシュ感と軽さは圧倒的な違いだ。何度も生地を伸ばして畳んでを繰り返したパスタは多孔質で、胃の負担が軽い。そして極め付けがカスタマイズで辛味をつける唐辛子だ。ホールで一本渡されて、自分で崩しながら好きな辛味で食べれる。これはどうやら自分にとっての新しい習慣になりそうだ。

今後の取材調査費に使わせていただきます。