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HYSTERIC GLAMOURーーー!!!!響きだけじゃねーぜ?

3ヶ月に一度、深夜にTwitterトレンドに上ってくるメゾンがあります。

HYSTERIC GLAMOUR

その原因は関西ローカルの深夜番組、『なるみ・岡村の過ぎるTV』という番組で行われるティーアップ長谷川宏氏のファッションショー。

その中で長谷川氏が必ずHYSTERIC GLAMOURのアイテムを身につけている事と、その名前の響きから面白がって出演者が名前を連呼する事から、
地域限定的ではあるものの毎回Twitterトレンドに上がる盛況を見せます。

僕も夏場のTシャツはHYSTERIC GLAMOURのTシャツを着る事が多いです。

しかし、昨今純粋にクローズアップされる事が少なくなったなと思いました。

そう。HYSTERIC GLAMOURのスタイルというのは、今では決して目新しいものではなくなってしまいました。

ただ、僕はここがHYSTERIC GLAMOURの功績の大きさだと思っています。

今日はアメリカンスタイルをここまでポップにしたHYSTERIC GLAMOURというメゾンに少し触れようと思います。


HYSTERIC GLAMOURが設立されたのは1984年のことでした。

デザイナーの北村信彦が東京モード学園を卒業後、アパレルメーカーであったオゾンコミュニティに就職、そこでHYSTERIC GLAMOURを立ち上げます。

当初から、ミリタリーやジーンズ、ネルシャツなどのアメリカンテイストなものとロックを融合しながらもその色遣いやデザインが非常にポップであった事から、当初からファッショニスタやミュージシャンに愛用されました。

1986年に原宿に店舗をオープンし、90年代中頃には不動の人気を獲得、1998年まで規模をどんどんと拡大していき、その名を不動のものにします。

当時どれくらいの人気だったかと言うと、今のSupreme位だったと言えばお分かりになるでしょうか?(後にSupremeともコラボしてたりする)

新作の発売日には長蛇の列ができ、人気アイテムは即完売。

当時のアパレルとしても高価な部類に入るものでしたから、
セール初日には百貨店の非常階段の行列が夕方まで絶えないなんて事は珍しくありませんでした。

そんな事もあって、街中には『HYSTERIC』と書かれた洋服を着た人間で溢れました。

昨今のSupremeのボックスロゴと同じ状態です。

当時のHYSTERIC GLAMOURはその名前が示す通り、ウィメンズの展開が主でしたが、物珍しいデザインであった事から、男子人気にも火が付いた結果、サイズ展開が豊富なTシャツやアクセサリーを身に付ける人が増加。

パンツも当時では非常に珍しかったカラーデニムや、プリントを施したデニムを展開しており、非常にスキニーなラインのパンツを履く為に多くの男性がダイエットに勤しんだそうです。

90年代中頃はバンドブームでもあり、今までにないロックテイストのアイテムを展開していたことも人気に拍車を掛けたのではないかと思います。


そんな男性人気を本格的に取り込むべく、メンズの展開も本格的になります。

そのメンズ展開を本格的に後押ししたのがスタイリストの野口強氏です。

90年代後半から00年代、ファッション誌では男性のファッショニスタが多く現れ、その中で注目されたのがスタイリストでした。

今では考えられないかもしれませんが、野口氏を筆頭に当時のスタイリスト達がタレントを押しのけてファッション誌の特集を組まれると言うことが毎月のように行われました。

その後、スタイリストの皆さんが出入りしていた裏原宿のショップに大きな注目が集まり、裏原のブームが起こる事になります。

そんな当時の人気スタイリストであった野口氏が、担当していたタレントにHYSTERIC GLAMOURの服を着せた事で、男性の人気にも火が付きます。

そして、HYSTERIC GLAMOURが積極的に行ったのがコラボレーションでした。

ANDY WORHOLやKurt Cobain、CORTNEY LOVEなどのアーティストとのコラボレーションを積極的に行いました。

このコラボレーションが見事に当たります。

特にKurt Cobainのコラボは大きな話題を呼びました。

この事でNIRVANAに再び注目が集まり、グランジファッションが再び脚光を浴びる事になります。

その後、UNDERCOVERやNUMBER(N)INEでもカート・コバーンをモチーフとしたコレクションを発表され、それらも軒並み大きな話題となります。

もう存在しないNIRVANAという存在をファッションの面から大きくしたというのは、非常に面白い現象であったと今でも感じます。


そして、そのヒットを受けてなのかは定かではありませんが、HYSTERIC GLAMOURはカートの配偶者であったコートニーに焦点を当てます。

通説として、コートニーはカートと結婚後、様々な憶測を立てられ続けました。

悪名高い人間と思われがちですが、実はHoleでのコートニーのライブパフォーマンスは非常に刺激的なもので、奏でていた音も非常に素晴らしいものでした。

Holeが売れたのはNIRVANAというかカートの自殺がきっかけであった事は否めないけれど、そのクオリティは非常に高く、正当な評価が為されなかったと思っています。

当時のコートニーの寫眞を用いたアイテムは非常に格好良く、これも話題になりました。

まさにヴィジュアルもHYSTERIC GLAMOURなコートニーにピッタリだったとも言えますね。

コートニーとのコラボは数年間継続され、その間新しいアイテムがリリースされ続けたというのは当時のファッション業界では異例のことだったと言えます。

今でこそコレクション毎にスニーカーメーカーとファッションブランドがコラボレーションという事はあれど、メインの服を連続してリリースするというのはそうそうある事ではありません。

そうしてストリートで身につけやすいロックなスタイルとしてHYSTERIC GLAMOURは現在の地位を築きました。


HYSTERIC GLAMOURの功績というのは、今考えると多くの人にアメリカンカルチャーを普通の感覚として根付かせたという事だと思います。

ウォーホルのTシャツだって、今ではUNIQLOに普通に置いてあったりするけれど、それをオシャレで格好良いものだと印象付けたのはHYSの功績が大きいと思うし、

その延長線上でバンドTシャツを格好良いものと定義させたのは非常に面白くあります。

バンドTシャツなんて昔のはどう考えたって格好悪いんですよ。

特にヘビーメタル界隈のTシャツなんか主張が強過ぎる上にデザインやモチーフが革命的にダサい。

そりゃそうです。ロックのTシャツの目的はショップの紙袋のようなもので宣伝効果が第一なのです。

如何にインパクトを与えて自分たちのバンド名を多くの人に伝播させるかを第一に考えられている。

控えめなデザインなど不要!というもので普通に着るにはダサいものでした。

しかし、昨今ではその過剰な主張をうまく利用しながら使う事が一種のブームにもなり、これから新しくTシャツを作るには普段も着てもらえるようにと工夫を始めました。

これもロックTシャツを格好良いものと再定義した事の功績ではないでしょうか?

ファッション業界だけではなく、音楽業界へのアプローチに繋がっているというのは非常に興味深い出来事であったと言えます。

確かに昨今HYSTERIC GLAMOURからは目新しく、刺激的なアイテムがリリースされているとは言い難いかもしれません。

しかし、それは多くの音楽好きやファッション好きの洋服への意識を大きく高めたからとも言えるのではないでしょうか?

今、シンプルにHYSの定番だけでコーディネートした洋服で歩くのも新鮮かもしれませんね。

それがどのジャンルにも属さないロックな装いに見えるかもしれないな。

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