THE NAME OF MONEY.

ファレル・ウィリアムスがLOUIS VUITTONのメンズクリエイティブ・ディレクターに就任した事が先日発表されました。

ファレル・ウィリアムスと言えば、昨今のヒップホップサウンドを変えた人物として有名で、その名前はブリトニー・スピアーズの『I’m A Slave 4U』で一気に全世界へと広まりました。

そこから彼の輝かしいプロデュース業が始まり、今やヒップホップの世界ではレジェンド級の存在であります。

また、HIPHOPの音楽にスケーターファッションを取り入れた事によってそのスタイルにも注目が集まり、これまでLOUIS VUITTONやMaison Margielaとのコラボレーションしたアイテムを多数リリースし、そのどれもが好評を博しました。

その功績が認められ、今回LOUIS VUITTONのディレクターに就任したという経緯がある。

このことは個人的に非常に衝撃的な事でした。

世界的なブランドビジネスが最早本質ではなく、パッケージで選択されているということの証明になってしまったからです。

これは、かつて日本が高度経済成長時にブランドもの、それこそLOUIS VUITTONを世界中で買い漁って、その本質的価値を見出さす名前に群がる愚か者と揶揄された。

しかし、その購入動機がブランドビジネスにおけるメインの顧客層の心理になっている。

そこに目をつけたのは前任のヴァージル・アブローの起用からの流れがある事も忘れてはいけない。

ヴァージル・アブローは『OFF-WHITE』でストリートにラグジュアリーな感性を持ち込んだ事でストリートファッションの地位をラグジュアリーメゾンに持ち込んだ人間でもあります。

そういう意味では、ヴァージル路線の継続という意味合いが強いのですが、ヴァージルがデザインしたからと言ってLOUIS VUITTONのアイテムが爆発的にヒットしたかと言うと、とても盛り上がったのは当初のものだけであった。

しかし、『OFF-WHITE』という看板が大きかったことから大きく評判が落ちることはなく、むしろ彼が以前にコラボレーションしたものが軒並みプレミアム化するという事態になり、彼の存在感が大きく向上した。

LOUIS VUITTON側は現状を維持したいという姿勢なのがファレルの起用からも窺い知れます。

しかし、これは長年継続するLOUIS VUITTONというメゾンの伝統を否定するものでもある。

正直言ってしまえば、この品質のものを提供しているメゾンが自らの商品の高品質さを否定しているという事が伺えてしまうのです。

ファレル・ウィリアムスは常に革新的なものを作り上げてきた人間です。

それこそが彼の魅力であり、伝統的なものをそのまま世に送り出すということをしてしまっては価値が下がってしまう事さえある。

しかし、LOUIS VUITTONに消費者が求めるのは高品質のクラシックなデザインであるという事も決して無視する事が出来ない要素の筈です。

流行の最先端を常に追い掛ける必要性は薄い。

このような世界一のブランドビジネスを展開するLVMHが恒常的な消費を促すのは正直どうなのか?と思ってしまいました。

確かに刺激は必要ですが、それはコラボレーションで事足りる訳です。

そう考えると、LVMHが契約したのはファレルという名前なのです。

有名人としての彼のネームバリューで商売をしますと宣言してしまったのです。

デザインも品質もどーでもいい!売れればいいよ!という姿勢が強くなった事が自分としてはどうしても否めません。

このような流れになったのは世界的に『コラボレーション』というものの意味合いの変化であるということも言えます。

コラボレーションというものはそもそも、お互いが足りないものを補い合って世の中により素晴らしい作品を送り出そうという所が本来の意味だと思っています。

ただ、昨今は大きくその意味合いが変わっていて多くの場合が『名義貸し』という意味合いになってしまっている。

そして、そこには人材を育てる事なく金を積んで外部から人材を募集してしまえばいい。

という考え方を邪推してしまう。

はっきり言ってしまうと、双方に実力がなくても形になってしまうという方法が確立されてしまった訳です。

双方が切磋琢磨し、その力を競うというわけでなく分業作業に終始しているコラボレーションが昨今は多過ぎて少し食傷気味になっている所もあります。

コラボレーションとして昨今非常に不思議なのは、有名な日本のデザイナーがGUと盛んにコラボレーションをする現状です。

個人的にUNDERCOVERとのコラボレーションを購入したので偉そうな事は言えないですが、これ本当にいいのか?と思います。

客側としては、高級なメゾンのデザインを安く買えるという意味では嬉しいのかもしれませんが、結局それって本筋から考えるとボツ案だったから回したって事でしょ?って邪推するし、もしくはファストリの意見を汲んだ商品であって、デザイナーが本当に出したかったものじゃないかも?と思ったりする。

商売である以上、一定の収益を出さなければならないし、それが出来ないならば継続ができない。

その収益を出す為に一般的にも使いやすい、又はその時の流行を意識したアイテムを販売するというのも理解できますし、必要だろうとは思いますが、それって結局は消費されて終わっちゃうんですよね。

デザイナーにはそういう終わり方をするものをゼロには出来ないまでも少なくして欲しいと考える自分としては、そういう考えに至る結果になったファレルの就任だったというお話。

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