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母語話者なのに、日本語が下手な人は人生ハードモードになります。

 こんにちは~。青野です(^^♪
最近よく思うことがあります。日本人だから、日本語が使えて当たり前。と思っているわけですが、やはり言語能力の高い低いで、人生が変わることって、あるよね。

 うちの母のことなんですが、10年以上前に、乳がんになり、手術することになりました。母と私は、遠方に住んでいて、遠距離看護になったわけです。

 今は、こうしてあっさりと、過去を振り返って書いていますが、私は母が死ぬかもしれない。と、思い、抗ガン治療が大変になるだろうから、同居やせめて、近所に引っ越して欲しい。と真剣に考えて、ときおり泣きながら暮らしていました。

 母のところに、通うのは、大変でした。私には、夫と子どもがいて、頻繁に片道2時間かけて通い、この生活がいつまで続くのかと不安になりました。

幸いなことに、乳がんは初期で、抗がん剤治療が必要なく、外科的治療だけで良かったです。それで、その手術なのですが、

 「手術の日、付き添ったほうがいいでしょ?お医者さんに、何か言われなかった?」と私が母に言うと、
「いや、何も言われなかった。」というので、そんなに、乳がんの手術って、簡単になったのか?と思い深く追求しなかったのですが、手術の直前2,3日前に、
「おねえちゃん、家族の立ち合いが必要だって。」と母に言われ、
ですよねー。と思ったわけなんですが、

母は、お医者さんに
「家族はいますか?」
と聞かれて、
「家族はいません」
と答えたというのです。
もう、まったく!私は家族じゃないのか?と思いました。

お医者さんは、何も悪くないのです。本当に。
現場では、さぞ困ったでしょうね。
看護師さんとか、とても迷惑をかけたと思います。

 そのころ、もう一人のきょうだいは、もっと、遠方にいて、母の病気に関わることができませんでした。私は、医療従事者でもないし、周りに乳がんを患った人もいなく、どこに相談していいのかもわからず、本を2,3冊読んだものの不安は消えることは、ありませんでした。

 母は、普段は、おしゃべりで、1時間も2時間もずっと、些細なことをしゃべることができるのに、肝心なときに、重要なことが伝えられません。
なぜ、
「同居している家族はいません。」
と言えないのか。

 どうしてなのでしょうね?
とても不思議です。
日本人なのに?母語話者なのに?
身近な人間のコミュニケーションは、なかなか難しいですね。

 それでは、また~。

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