我を愛する歌(石川啄木『一握の砂』より 短歌)
石川啄木の歌集『一握の砂』の一番最初のトピック、その名も 我を愛する歌。
初めてこのタイトル見たとき、何故かぞくっときた。自分の内面世界などを詠むにあたり、我を愛するって言えちゃうところが。この、ぞくっ の正体は 多分羨望なんだけど。
そのなかでも特に好きな数種を感想と共にご紹介。
一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
(現代語訳)
俺に一度でも頭を下げさせた奴 全員●ね☆
→
最初に見たとき吹いたwwwwww
本当は良くないと分かってても。
やさぐれてたらこういう気分の時あるよね!!!
我を愛する歌の中にこういうの堂々と混ぜ込んじゃうの最高にロックで良い。
ちなみに、国語の教科書に載りがちな、はたらけどはたらけど~ とか たはむれに母を背負いてそのあまり~ の歌も同じく『一握の砂』の中に載ってる。
いや、ギャップすごすぎるな。
空き家に入り
煙草のみたることありき
あはれただ一人居たきばかりに
(現代語訳)
空き家に入って一人でタバコを飲んだことがあった。
ああ、ただ一人でいたかっただけに。
→
これ めっっっちゃわかる!
ただ一人でいたかっただけのこと。
普段ほぼタバコ吸わないけど、一人で外をふらついてみたときとかに、気まぐれで吸うことがある。稀なので家族すら多分知らないと思う。
HUBの店内にある、電話ボックスみたいなちっさい1人用の喫煙室で 煙が換気扇へ吸い込まれてくのを ぼけーっと目で追って眺めてるのとか好き。
邪道かもしれんけど。
自分の自分による、自分だけの空間いいよね。
何がなしに
頭のなかに崖ありて
日毎に土のくづるるごとし
(現代語訳)
なんとなく脳内に崖があって
日に日に土が崩れていくようだ。
→
精神状態が何日も何日も不穏というか落ち着かないときを風景に置き換えたら、きっとこんな感じ。
一気に土砂崩れするわけじゃなくて、じわじわ崩れてくような。
その理由がなんであれ、心臓のあたりがざわついてるときの空想の風景。
あたらしき心もとめて
名も知らぬ
街など今日もさまひいて来ぬ
(現代語訳)
新しい心を求めて、名前も知らない街を今日もさまよってきた。
→
全然知らない街や、ちょっと知ってる程度の街の初めてのエリアとかをふらついてみるの、わくわくするよね。
街の匂いとか、空とか、よくわからん店とか庭先とか、細かいことは後であっさり忘れちゃうかもしれないけど、その瞬間自体が良きかな。
好きな歌の紹介はここまで。
ちなみに、自分が初めて『一握の砂』を読んでみたきっかけが、高校の頃。
国語の教科書に はたらけどはたらけど猶わがくらし~の歌が載ってて、その時の授業で先生が紹介してた石川啄木に関するこちらの書籍を買って読んでみたこと。
お金と女遊び大好き、働きたくない、借金大王なエピソード満載なんだけど 笑 (しかも妻子いる状況下で)
大元の『一握の砂』の歌集自体の方も読んでみたくなってそっちも購入して読んでみて、至る現在。
なお、彼のライフスタイルそのものは共感しない 笑
石川啄木の日記『石川啄木ローマ字日記』も出版されてて読んだけどこれは……(お察しください)
石川啄木は満26歳没、『一握の砂』は24歳の頃に出版したもの。
個人的に、若さゆえのモヤモヤした気持ちの遣り場のひとつを、歌に昇華してる感がした。140文字のつぶやきよりもずっと短い言葉なのに、圧倒的にリアル。
彼が見たものや感じたことのなかに、妙に共感できることや好きなものがあるはず。
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