作曲・編曲153

今タイトルを見て感じたのですが、記事の内容を反映していませんね(汗)。

ただ今更変えるのも変なのでこのままいきます(笑)。

今日は改めて「自分」と「他者」との関係性について考えてみたいと思います。

ここでいう「自分」とは、自分の属する集団のこと、「他者」とは未知の定かではない集団のことを指しています。

そう考えると「内輪」と「外部」という言い方のほうがいいのかもしれません。

なので「自分」のサイズは人それぞれなんですよ。

それこそ名前はあげませんがメジャーなミュージシャンでも「自分」の中だけで音楽を制作している方、大勢います。

「内輪」のサイズが大きければその中だけであってもメジャーになれます。

ただこういう方たちって「聴きたい人が聴けばいい」にすらなっていないのだと感じています。

同質な集団が当たり前になっていてそこだけでやっていけるから、異質な集団があることを意識すらしていないかもしれない。

むしろ「聴きたい人が聴けばいい」というミュージシャンの方が外部に開かれているのかもしれません。

というのも「聴きたい人」と「興味がない人」の間の差異を認識しているからです。

届かなくてもいい、と開き直るのがいいこととは思いませんが。

ただ、「他者」の存在を認識しているかいないかでは大きな違いがあります。

この意識が無ければ、その先に行くことすら出来ませんから。

たぶん「同質な集団」な世界の中で「閉じている」ミュージシャン、他の音楽で殴られたような衝撃を受けたことがないか、受けても自分と関係ない話と思っているのかのどちらかでしょう。

そこから新しい何かが生まれることはないでしょう。

今日もなんだか本筋から外れまくっているので、明日はきちんと書くつもりです。

つもりなだけですが(笑)。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。