和声⑰

突然このテーマに戻ったように思われるかもしれません。

自分で見てもそう思います(汗)。

ただ昨日までの流れと関係あるんですよ。

というか和音の「機能」について書いていたので、そろそろこちらに戻ってもいいのかなあ、と考えました。

ちょうど転調と和音の機能について書いたところだったので、流れ的にもよいのかと。

昨日は転調が多い場合、和音に機能を持たせないと転調感を損ねる、と書きました。

ただ、機能的であるだけではだめです。

ドミナントの代理でⅡ♭7という和音があります。そもそもそんな例外的なものを出しても、と言われるかもしれません。

ただ違うんですよ。この和音がドミナントの代理になる、という話は「和声」の世界ではⅢより早く出てきたように記憶しています。結構目から鱗でした。

おぼろげな記憶なので、違っていたらごめんなさい。

まあそれ位Ⅲというのは厄介なものとも言えるのですが。

ただ、この和音を使った時点で調性感は低くなります。

やはりノンダイアトニックコードはセカンダリードミナントとして使われるものを除けば、調性感を損ねやすいんですよ。

セカンダリードミナントは直後に調性内に回帰することを前提としているから、調性感は損ないません。

ただⅡ♭7のようなコードだと、Ⅰに進んだとしてもそれだけでは調性感は生まれません。

当然前後関係から決まってくる話になるのですが、ノンダイアトニックコードを多用すると、調性感は薄くなっていく、というより調性が分からなくなります。

このような状態の中で更に転調を重ねれば、調性は崩壊します。

これが原因とまでは言いませんが、クラシックでの調性崩壊とも絡んでいると個人的には考えています。

「和声」と言っても実際には複雑なものであって、「和声」を崩壊させる要素すら含んでいる。

まあ普通はそんなことはしませんが、実際にクラシックは調性の崩壊と共に自らすら崩壊させた(=現代音楽の成立)訳で、それはそれで意義のあることだったとは思いますが、音楽の主流からも外れていった。

もちろんそれだけが主流から外れていった原因ではありませんが、聴き手は「調性音楽」に慣れているから、やはり聴きづらいものになってしまうときついでしょう。

実際普通の方がクラシックとして好むのは古典派から前期ロマン派が主流でしょう。後期ロマン派は好きな人しか聴かない。

でも、それでいいのか、ということも考える必要はあるでしょう。

明日からゆっくり考えてみたいと思います。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。