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noteは、おしゃべりの延長

 「やってみたかったこと」を実際にやってみると、自信がつくみたいです。ひとつ出来たと思ったら、タガがはずれたように次から次へと実行してしまう。しかも今は少し時間があるせいで、余計に勢いがついている。

 はじめのきっかけは、今月の頭に前髪を切ったことなんじゃないかと思います。

 似合うかどうかわからないけど「似合わせてみせる!」と意気込んで好きな服を買いました。敬遠していた全面喫煙可の喫茶店に入りました。(最近は吸う人自体が減っているから案外平気だった)楽譜を買った足で予約しておいたスタジオへ行きピアノを弾くことも。そして文体を変えてnoteの記事を書きました。

 そう、きのう初めて「だ・である」で書いてみて、思ったんですけど、なんというか、文をうまく組み立てようとしても、なんの言葉を使えばいいのかがよくわからなくて、難しかったです。

 noteに書くとき、わたしは文章を頭の中で音声にして読んでいます。つまり、誰かに話しかけるような感覚で書いているということです。でも昨日は「文章を使って作品をひとつ作っている」という感覚でした。(実際はただの日記ですが)

 紙の日記に何かを書いているときは、要するに「自分自身との会話」をしているわけです。自分に向けてわざわざ丁寧語なんか使わないから「だ・である」がしっくりくる。noteの場合は、内容は未来の自分のための記録ではあるけど、他人も読むことが前提だから、自然に「です・ます」になっているんだ・・・!

 見ず知らずの人に、友達のように気安く話しかけるのは、少なくとも、わたしにはできません。「だ・である」で書くことの違和感の理由はこれだったのか~、と投稿してから気づきました。

 わたしが書いていたのって、要するに「おしゃべりの延長」のようなものだったんだな~~~!!

 

#日記 #気づき #エッセイ #文体