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赤いごはん

こどもの頃大好きだった赤いごはん。
赤いごはんとはつまりはケチャップライス。
あまくて香ばしくてちょっと酸っぱい。
赤いごはんがあれば他になーんにもいらない。

* * *

 まだ社宅に住んでいた小さい頃、我が家は本当に貧乏で、父の給料日が近づくにつれ決まって野菜オンリーな食卓になった。3人きょうだいの長女だったあたし。当時のあたしは我が家が貧乏だとはあまりピンときてなかった。子どもだったおかげ、というのか、それをなんとも思わなかったし、人のおうちの食卓事情と我が家のそれとが違うなんてまったく気づかず、まいにちのほほんとしあわせな食卓だった。
 お肉の入らないチンジャオロースーも大好きだったし、ひき肉がほとんど入っていないキャベツばかりのギョーザも美味しいと思っていた。甘く炊いたしいたけや錦糸たまご、きゅうりにたくあん、ハムの細切りにツナマヨだけの手巻き寿司は子どもたちにとって大大ごちそうだった。

 「お父さんの実家から定期的に届く美味しいコシヒカリがあったおかげでなんとか食いつないでいたのよ」と未だに母は話す。白くてぴかぴかもちもちのごはん、本当に美味しかったのを今でも臨場感たっぷりに思い出せる。

 赤いごはんは、我が家では定番メニューだった。今思えば他のおかずは何だったのかまったく思い出せないほど赤いごはんにくぎづけなあたしにとって大好きな献立だった。
 何かあったとき、とか、クリスマス、とか、そんな特別感はなく、比較的ひんぱんに食べていたように思う。でもなんとなく覚えているのは、母に「何が食べたい?」と聞かれて「赤いごはん」と答えているじぶんは、少しさみしい・かなしいそんな気持ちだったような気がする。自分から母に「赤いごはんが食べたい」とお願いしているときもおなじ。母は「赤いごはんね〜」といつもどおり作ってくれていたけれど。

 一人暮らしをするようになって赤いごはんを自分で作ったのは、ひとりで暮らすようになってから2年以上経ってからと記憶している。
(実家暮らしのときはほとんど料理をしてこなかったあたしが自分でごはんを作るようになって最初にハマったのはパスタだったのだけどそのお話しはまた別の機会に‥)
 当時ブラック企業に勤めていたあたしは、まいにちストレスの海にどっぷりで、なにもしなくても勝手に涙が出てくるような日々。憂さ晴らしにいつもの安い赤ワイン片手にPCを開いて夜な夜なネットサーフィン。と、そんなある深夜、ふと思い出した。

 そうだ、赤いごはん、食べたいな‥。

 そう思い立ってすぐにごはんを炊くところから始めた。冷凍庫のベーコンのはしきれとストックから発掘したひからびたたまねぎを安物のフライパンで炒め、炊きあがったごはんをどっさり入れてケチャップじゅわじゅわ、ちょっぴりおしょうゆ、そしてほんの少しのお砂糖でキメる。一番大きいお皿にどーん!と盛り付けて、深夜だというのに口いっぱいほおばってほっぺたをふくらませて食べた。

 たまねぎを切る、ベーコンを切る、そのあたりからだんだんと、さっきまでモヤモヤしていたいろんなことがゆるゆると薄くまだらになっていくのを感じてた。ひとくち目を食べて、あっ!この味この味〜と自然とニンマリ笑ってた。食べ終わる頃、もうすぐお皿から無くなってしまう赤いごはんを見てさみしくなりつつ最後のひとつぶまで平らげた。

 ごはんが炊けてから火にかけて作って食べ終わるまで、おそらく15分。
きっとずっと忘れられない15分。

 それからは弱っているとき必ず赤いごはんを食べた。仕事でしんどいとき、プライベートでつらいとき、毎月のメンタル落ちるタイミングなど、とにかく落ちてると気づいたら赤いごはんを作って食べた。時にはうちから車で10分の実家に帰り、母に赤いごはん作って〜と、せがむこともあった。
食べるといつも不思議なほどうまい具合に鈍感になる。まいっか。そう思えたりする。赤いごはんの不思議なパワー。

* * *

 二人暮らしの今、赤いごはんはときどき食べるごほうびごはんになった。
ほら、昔からのクセでたっぷり作ってしまうから、たらふく食べてもいいよってときだけ、そう決めている。

 でもね、赤いごはん、あたしにとっては今でもごちそうで、特別で、泣きたくなるような、そんな献立。じゅわじゅわのケチャップ、香ばしいおしょうゆの風味、ほんのりあまい、あたしの大好きな赤いごはん。

 あした、作ろうかな。


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