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祖母が教えてくれたお金の使い道

私の家の近くに住んでいる祖母は、小さい頃からよく私の面倒を見てくれていた。

そんな祖母は事あるごとに私にお小遣いをくれる。
私が大学生になり、アルバイトを初め、20歳を超えた今でも祖母に会うとたまにお小遣いをくれる。

いつものように祖母が私にお小遣いを渡してくれたその日、私はあることに気がついた。
それは、祖母がお小遣いの入った封筒を渡してくれるときに決まり文句のように言っていた言葉が微妙に異なっていたということである。

先月お小遣いをもらった際に祖母は「アルバイトでもしっかり稼いでいるだろうけど、これで美味しいものでも食べなさい」と私に言ってくれた。

そういえば、最近はずっと「これで美味しいものでも食べなさい」と私にお金を渡してくれていることにその時気がついたのだ。

祖母はいつからこの文言を言うようになったのか?
なんとなく気になって振り返ってみると、おそらく私が大学に入ったタイミングで変わったのだった。
では、それ以前では祖母は私になんと言ってお小遣いを渡していたのか。よくよく振り返ってみた。

流石に幼少期の記憶は全くなかった。それでも小学生の頃はよく覚えている。
私が小学生の時、祖母は必ず「これで好きな本でも買ってきなさい」と言ってお小遣いを渡してくれていた。

なぜこの言葉を覚えているのかというと、祖母のこの言葉のせいで、私は今でも本にお金を際限なく使ってしまうという悪癖が身についたからだ。

たしかこの「好きな本でも買いなさい」という文言は私が中学生になってからも言われ続けていたような気がする。
それでも当時の私は本に興味がなかったため、結局そのお金はゲームやお菓子に変わっていた。

私が高校生になってからは、祖母はなんと言ってお小遣いを渡してくれていたのだろう。
そもそも高校に入学してから、中学以前の生活に比べて祖母に会う機会が減ったような気がする。私が高校生になり、友人といる時間のほうが長くなっていたため自然と祖母を見る機会が減ったのだと、今はそう思っている。

それでも修学旅行に行くときや、文化祭などの行事が行われるときには必ずお小遣いを渡してくれた。そのような時、祖母はきまって私に「楽しんできてね」と言うのだった。
そうだ。私が高校に入ってから、行事の有無を問わず祖母は私に「これで楽しんでらっしゃい」「これで遊んできなさい」「洋服代の足しにでもして」と言ってくれていたような気がする。そんなことを覚えている。


祖母は明らかに私にお金の使い方を教えてくれていた。

小、中学生の頃は「好きな本でも買いなさい」
高校生の頃は「これで遊んできなさい」
そして、大学生以降は「美味しいものでも食べてきなさい」

祖母はたしかに、”勉強、遊び、食”と、その時々で必要なものが何か、大切なことが何かをわかっていて、それを押し付けようともせず、さり気なく教えてくれていたのだろう。これは私の深読みだろうか?

このことに気がついた時、私は祖母がとても偉大に思えた。そして自然と涙がこぼれた。


そんな祖母はまだ健在だが、やはり昔に比べると老いが目立ってきた。
特に最近は膝の調子が悪いらしく、久しぶりに一緒に並んで歩いているとその歩く遅さに胸が苦しくなった。
この調子だと、現在小学2年生のいとこが私の年になる頃にはもう、、、ということも悲しいかな可能性として十分に考えられる。

実をいうと、この事は祖母と私で既に話したことがある。
「おばあちゃんが当時小学生の俺にしてくれたことを、今のおばあちゃんだと体力的に小2のいとこ君にはしてあげられないというのが俺としてはとても辛い。生涯もらうお小遣いの額とかお祝いとかも俺よりいとこくんのほうが少ないじゃん」ということを祖母にぶつけたら、「いとこのことを考えてくれて嬉しい。私がいなくなったら青砥がいとこの面倒見てね」と祖母は泣いて喜んでくれていた。

ここからも分かる通り、私は生粋のおばあちゃんっ子だ。
そんな私だからこそ、後世の人、まずは身近ないとこから、祖母に教わってきた様々なことを伝え繋いでいこうと思った。


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