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友達の定義

私には明確に友達の定義がある。

それは、
その所属から離れた後で私が会いたくなる人である。

たとえば、高校でたまたま同じクラスになった人(以下、A君)と仲良くなって、一緒に通学したり放課後にマックで恋バナをしたりする関係になるとする。

おそらくほとんどの人がこの関係からを友達と呼ぶのだろうが、私からしたら別に友達でもなんでもない。

しかしここで勘違いしないでほしいのが、A君と仲が悪いとか、距離をとっているとか、そういう話でもないということである。

問題は、高校でたまたま同じクラスになったところにある。
これを運命と呼び、袖振り合うも多生の縁、一期一会を大切にすべきことは十分に理解している。
ただ、その偶然性によって半ば強制的に繋がれた縁の片鱗を何処かで感じてしまう自分がいる。

だから、もしこの場合に私がA君をはっきりと友達だと意識するタイミングは、高校を卒業して、私とA君の間に何のつながりもなくなってから私がA君に会いたいと思った時だ。

一般化すると、偶然が必然に変わったときに私はその人を友達だと意識するということになる。


私は現在大学生だ。それも入学してから3年は経過しようとしている。
もちろん大学に入学してから仲良くなった人はたくさんいる(つもりだ)
一緒にお酒を飲む仲間もいれば、大阪に旅行に行くような関係の人もいる。

けれど大学に在学している以上、私は彼らのことを決して友達だと思わない。これは彼らにはっきりと伝えているので多分大丈夫だと思う。

もし彼らと友達になるのだとしたら、大学を卒業しても私が会いたいと思ったときということになる。


【衝撃の伏線回収のコーナー】

ここまでの私の文章から、私にとって友達とはどういう存在なのかを分かってもらえたと思う。

この狭い狭い友達の定義ゆえ、私が友達だと認識している人は今のところ3人である。

それを踏まえた上で、私のこれまでのnoteの投稿を見返して頂きたい。

決して宣伝では無いです笑笑
初めましての方は私のプロフィールに飛んでください🙇🙇🙇

それらの文章の中で私が明確に「友達」と記している文章が一つもないことが分かるはずだ。

私が友達だと思っている方が登場する際には文章中に「友達」と明記する。
しかし、現状ほぼ全ての文章で他人を登場させる時は「友人」「同級生」のような表記になっていると思う。

私にとって「友人」はピラミッドで言う2段目の「純友達」とか「現行仲良い人」枠として捉えている。ピラミッドの1番上は言うまでもない。

これを踏まえた上で、ぜひ私の投稿を、、、。


【ここからとても散文。読まなくてもいいよ。】

このようなマインドになってから、対人関係がとても楽になった。

もとより引きこもることが好きで、理由もなく対人関係をリセットする癖があるということも相まって、あまり人との繋がりに重きをおいていない。

10人に1000円使うより、1人に10000円使ったほうが両者うはうはだもんね。

ちなみに、私が心開いてる人にしていることは、「天体観測」以外のバンプの曲を歌うことである。

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