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名作濃縮[名作への向き合い方]

私は昨年それなりの数の映画とそれなりの数の本を読むようになりました。

それこそ人と比較をしたら大したことのない数なのですが、私の中では人生でいちばん作品に触れた年と言っても過言ではなかった、そんな1年だったと思います。

その中でも、映画、読書ともに初心者であった私は特に意識して名作と呼ばれる作品を片っ端から触れようと試みました。

そんな名作と呼ばれる作品は面白かったかと言われると、、、、

あんましピンとこんなぁ。。。
というのが正直な感想でした。

もちろん中には人に勧めたいと思った作品、今でも心に残り続けているほど刺さった作品はたくさんありましたが、あまり良くわからないやという作品も多く見られました。

私が多くの名作をあまり良くわからないと感じた原因として、2つのことが考えられます。

1つは、名作と呼ばれる作品は基本的に私が生まれてくるずっとずっと前にはもう発表されているものなので、その当時の時代背景などがわからず、小さな(なんだこれ)が積み重なって作品に集中できなくなることから生まれるものです。これは映画ならまだしも、文字のみで展開される文学作品によく見られます。

もう1つは、まだ自分が若すぎて作品の真の良さを理解できるほどの経験を積んでいないということです。作品に対する向き合い方とその評価の受け取り方は常に一定ではなく、その時の感情、それまでの経験、知識のすべてに影響されるものであると思っています。


こんな私のように名作に触れたとしてもなんとも思わなかった、これは過大評価では?と思うような人はそれなりにいるのではないでしょうか?

だからこそ名作に触れる、名作と向き合う方法についてそれなりに考えた結果、1つの姿勢を思いつきました。

それが、

最新の作品に触れまくる

ということです。

正確には、最新のものから少しずつ時代を遡っていくように作品に触れるという向き合い方をおすすめします。

これは私が作品に触れまくる1年を通して感じたことなのですが、最新の作品には、名作のエッセンスが非常に多く含まれています。

映画や本に限らず、文化的なものや芸術的なものには必ず歴史が存在しています。そこには機械や道具の発明のみならず、技術や表現の発達や進化そのものがあり、その血は現在まで確実に脈々と受け継がれているのです。

だから何気なく作品を時代を遡るように見ていくと、この表現(演出)ってこの人が初めて使ったんだ!!とか、この手のジャンルってこの時代に生まれたんだ!!という気付きと驚きが湧いてくると思います。

名作とは、何も見た人全員が感動するからそう呼ばれているというものだけでなく、後世に多大な影響を及ぼしてしまった作品もそう呼ばれていることが多いのです。

更に時代を徐々に遡るように見ていくことで、現在の当たり前が当たり前じゃなくなる瞬間、より深く言えば不便になる瞬間に出会うことができるという点でも、このような向き合い方をおすすめします。

この時代からCGが汚い!!とか、わざとらしい演出になった!!というクオリティダウンは色んな意味で印象に強く残るでしょう。そういった驚きが、今の作品って凄いんだなぁと逆説的に思わせてくれるような気がします。

最新の作品にはそれ以前の作品、とりわけ名作のエッセンスが多岐にわたり登場し、それを見ることで間接的に名作の凄さを知ることが出来ること。これを名作濃縮とでも呼ぶことにしましょうか。

温故知新。古きを訪ねて新しきを知ると言いますが、新しき立場から古きを訪ね知ることで、新たな気づきもあるらしいのです。

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