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縁と自身が資源

例えば、誰かをアセスメントして支援計画を作成してその人が暮らしやすくする行動は、縁が深く絡んでいるように思う。

出会いだから。

しかし、そのままの暮らしやすさ、幸せ。それを勉強に持っていくのは危険だと思う。試験に合格するのは運もあるだろうが、何かに導かれて勉強すること、これを必ず勉強するんだという意気込みは大切だろう。しかし、それは時に孤独を生み出すような気がしてならない。

要は資格を取得して切れ目がないようにしたり、知識という防具を身に着けたり、知識をつけて例えば遠くにいけたとして、その先で街を見降ろした時に見えるのは無数の家々や街であろう。そして、そこに知識があったとしても、また街に出向かないといけないんです。

暮らしやすさの先には、その人のやりたい気持ち、そしてそれが溢れ出す瞬間、過程、そこには強さや弱さや他者の存在がある。

自身だけではどうにもならない。

だから、何を大切にして勉強していくのかが大切。じゃあそれは何かということになる。いろいろな本を読んだがわからない。というより実行できない。

あくまでも自身の人生のために、自身の笑顔のために、こういう勉強をしている。その中で強みを身につけたり、自信をつけたり、様々な人の力を感じたり、まるで自身をアセスメントするような視点が大切だと思う。そうすれば、縁を大切にした勉強ができるようになると思う。

まとめると多角的な視点で勉強するだ。勉強も大切だけど、遊びも、弱さも大切。それが本当の強さや、自身の描く道や目標を描いていくから。

そして、そうして勉強すると、人のことを違った視点で観れて人に寛容になれたり、気づいたら、わからないが、いろいろな紐というか網目ができて、いろいろな人に見守られていることに気づく。

その網目ができていくこと。それは、たぶん、自身にとって正しい道を歩いてる気がする。網目は作ろうと思ってできるものではない。

それができていくということは、あなたは悩み、考え、そうやって将来を描いてきたのではないだろうか。そして、それを少しでも大切にしようと思うなら、その勉強は有意義なものではないだろうか。

それが、僕は僕の描く、縁の中で勉強することだと思う。

社会福祉士としての自身が資源になる方法だ。網目を作る方法だ。

アセスメントもそういう網目を張っていく作業かもしれない。