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アフガニスタンで見た桜

「俺はここで死ぬのか...」

…数年前、日本では徴兵制が導入された。国際情勢の変化は恐ろしい。新型コロナウイルスの時もそうだったけど、数年前までは全く誰も三密なんて気にしていなかったのに、緊急事態宣言なんか出されて誰もがマスクを着用した別の世界になってしまった。

5年でここまで世界は変わるものか。それと同じで、国際情勢の変化も凄まじい。2022年にロシアがウクライナに侵攻したと思えば、今度は東の北海道で軍事的な競り合いがあった。

2010年前後には南の尖閣を巡って中国と対立してたのに、ここまで短期的に衝突が発生すると思わなかっただろうな。その時は平和的に解決したけど、ウクライナ戦争で日本は支援を決めた。

それから北海道が現実的な被害を受けて日本政府は本土の防衛に力を入れ始めたみたいだ。その具体策が少子高齢化だと騒がれながら徴兵制を導入することらしい。国民の中には反発もあったみたいだけど、こういう要検討で急いで決断する必要がない時ほど即決で徴兵制が導入された。

よっぽど日本の本土が襲撃されたことが衝撃的で対応を急いだらしい。


それから2年後、俺も徴兵された。

普段は東京の会社でオフィスワークをしている会社員だ。別に体育会系ってわけじゃないし、それだったら面接で上手くいって商社でも受かってそうだと思えるくらい、普通に冴えないサラリーマンとして働いていた。

就職するために桜の吹く季節の中、期待を持って熊本から出てきたのに、すぐに徴兵された。軍事的なことにも自分で言うのもなんだが、向いていない気がする。徴兵後の訓練も苦手だった。

攻撃的なことよりもみんなの様子を見ながら優しい言葉をかける方が得意だ。もともとおばあちゃんっ子で、いつも川の桜並木の横を散歩しながら「お前は他人を傷つけるな、優しさで相手を癒やせ」と小さい頃から言われてきた。

そんな俺が悩んだ時に真っ先に相談する相手はおばあちゃんで絶大な信頼を寄せていたものだった。

でも、もう簡単に故郷にも帰れない。俺自身も徴兵されてから自分が嫌になってせめてこの優しさだけは捨ててしまいたいと思う日だった。そして、ある日、アフガニスタンで実際に勤務を行う自衛隊を見学する研修という話があった。

俺はこの機会に「強くなりたい」と思ってこの研修に参加した。アフガニスタンに着いてみたけど、これまでの人生で経験したことのない「生」という生々しさに遭遇した。

人は生きるために人を殺し、誰かを殺すために生きている。俺は隊長さんからも話をよく聞いた。隊長さんもこれまでの仕事や自分たちの責務のことを話している。毎日のように俺によく話をしてくれて俺は嬉しかった。

そして、隊長を見ていると、本当に俺に必要なのは攻撃性じゃなくて本当の人を守れる強さなのだと思った。


研修が終わりかけた3月の終わり、俺たちのキャンプが襲撃された。

絶対安全だと聞いていたので研修に参加したのだが、本当に襲われるとは思わなかった。俺はパニックになって過呼吸になりかけた。隊員たちが研修者に「落ち着け」と呼びかけてくれた。

でも俺は人生の限界を感じて、今まで経験したことのない恐怖に目の前が真っ白になって呆然としかけた。敵は迫っているのにまともな判断ができない。どんな動物でも自分が襲われていたらすぐに逃げるだろう。

でも俺は野生本能が備わっていなかった。まるでずっと日本人が平和ボケに染まっていたかのように、戦うことはおろか逃げ出すことも忘れてしまっていたようだった。記憶が遠くなりかけた中、バチんと頬を叩かれた。

隊長だった。「逃げろ」と目の前で俺に叫ぶ。それと同時に目の前が真っ赤に染まる。最初は何かわからなかった。撃たれたんだ。でも痛みはない。俺の血ではなかった。俺の腕の中でまだ微かな声で「逃げろ」と言っている。俺を庇って身代わりになってくれた。

我に帰って逃げ出そうとするが、隊長を放っておくことができない。悩んでいるうちに遠くからもう一発大きな音がして、俺の腹から血が出た。思わず横たわった。本当の強さは人を守るために使う、決して拳や攻撃性だけの力の意味はなさない。

空を見上げれば、桜が見えた。おばあちゃんと一緒に歩いた時に見た桜だ。アフガニスタンには桜はない。

桜そっくりに咲くアーモンドの花が俺が欲していた本当の強さを教えてくれたようだった。