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楽園-Eの物語-『歌い女』の行く方

 ムンは山道を駆け下りていた。
 もう少しで村に着く。
 五日目の朝だった。
 昨日の夕方風の向きが変わると、ルージュサンの歌にセランの声が絡まり始めた。
歌声は、振動という振動を自在に操り、圧倒的な力で、繊細に、ムンと村長の体と心の細胞を奏でたのだった。
 二人は抗いがたい眠気に、夢現の時を過ごしたが、それが、今日の早朝、途絶えたのだ。
ムンと村長は急いで『歌い小屋』に行き、扉を開けたが、中には誰も居なかったのだ。
 二人は周りを探したが、ルージュサンの姿は無かった。
 辺りを隈無く探すには、人が足りない。
 他に案が出るのならば、大勢の知恵も借りたい。
 そこで村長は辺りを探し続け、ムンは里に下りて来たのだ。
 村に走り込むと、村長の家の前にある、鐘を強く叩く。
 村人達は外に出て、息を飲んだ。
 雪を割って咲く花、春の香りとされる木の花、庭に植えた春告げ花。
 春の花という花が一斉に咲いていたのだ。
《ムンっ!凄いな!!たった一晩で一気に春だ!!》
 鐘の前に立つムンに、村人が次々と声を掛ける。
《奇跡だ奇跡!》
《神は本当にいた!あれは、間違いなく『神の子』だったんだ!!》
《疑って悪かった、ムン。春の花が一気に咲くなんて》
《花?確かに凄いが、今急ぐのは別の件だ》
 ムンは叫び出したい気持ちを堪えた。
《ルージュサンが、『歌い女』居ない。今朝方、歌が途切れて村長と二人で『歌い小屋』を開けたが、もぬけの殻だった。鍵は掛かったままだったのに。今、村長一人で小屋の周りを探している。俺は皆の力を借りに、ここに来た》
 ムンの言葉に、村人達が我に帰った。
《そうだった。元々今日は『歌い女』を下ろす日だ。ムンが一人でここにいるのがおかしかった》
 色黒の男が言った。
《総出で山狩りでもするか?》
今度は髭面の男だ。
《それも良いんだが時間がない。体力はもう、使い果たしている筈だ。場所の見当は付かないか?》
 ムンが村人の顔を見渡す。
《いや、そもそもこの世に居るのか?神に取られたんじゃないのか?》
 老人は、言うなり丸顔の女に頭に叩かれた。
《なんてこと言うのよ!どっちか分からないんなら、居る方で動くのが道理じゃないの!》
《ルージュサンの居場所なら決まってるだろ》
 オグが不機嫌に言った。
《セランの所だよ。セランの居場所も分からないが、まずは洞窟の中だろ》
《『岩開き』は二日後だ》
 色黒の男が反対する。
《それは元々『歌い女』が少しは回復して、立ち会えるようにするためだろう?その『歌い女』を探すんだ。開けて悪い理由がどこにある》
 皆が口々に思うところを口にする。
 ざわめきが少し収まるのを待って、ムンが言った。
《俺はオグに賛成する》
 そして村長の首飾りを、懐から取り出した。
《この件についての取り纏めは、俺に任せるという証だ。じっくりと議論したいところだが、時間が惜しい。『岩開き』をお願いしたい》
 ムンが皆に頭を下げた。
《俺は行く》
《俺もだ》
《あたしも行くよ。村の恩人なんだから》
 あちこちで賛同の声が上がって、不満げな言い分をかき消した。
 そのまま我先にと山道を急ぐ。
 皆で力を合わせて扉岩を動かすと、一人分の隙間が出来るのももどかしく、オグが飛び込んだ。
 手燭を持ったムンがそれに続く。
 乏しい明かりで照らされた祭壇の前には、楕円形の塊があった。
 赤と銀の光る糸で包まれたそれは、巴の形に抱き合って体を丸めた、セランとルージュサンだった。
 糸を掻き分けて二人の頬に触れたオグが呟いた。
《冷たい・・・・》
 ムンの顔が強張った。

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