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読書記録 | 読書感想文にトルーマン・カポーティ考

子供の夏休みの宿題に必ずあるのが読書感想文である。

今年の夏は、私の本棚の中でも比較的読みやすそうなトルーマン・カポーティの「おじいさんの思い出」を選書してみた。

この作品は彼が小説家が作品を書き始めた頃、自身の叔母さんに手渡してから四十年間未発表のまま眠っていた作品であったようである。

日本語では村上春樹が、今から35年前の1988年に翻訳したものが刊行されている。

この本の長さは七十ページぐらいで、その半分ぐらいが物語の情景を表した美しい銅版画が載っているので、まるで絵本を読んでいるように話の内容が入ってくる。

なお、この本のあとがきにある村上春樹氏の解説を読んでみると、この作品に登場するおじいさんは、驚く事に作者カポーティが少年時代を一緒に過ごしたバドという従兄がモデルになっており、彼はバドから「従兄というより自分はおじいさんみたいな存在」と言われていたようである。

もしかすると、大好きな従兄のバドから言われたその言葉が作品を書くきっかけになったのかもしれない。

ここで小説家カポーティの事を少し書いておきたいと思う。
彼は1924年の9月アメリカのルイジアナ州で生まれ、最後は1984年の8月、もう少しで60歳というところで、同じアメリカの地で心臓発作により亡くなっている。

また、幼い頃の両親の離婚を境に複雑な家庭環境で育ってきたカポーティは、アメリカ人男性にしては低かった身長や、母親にまで拒絶された同性愛者という様々なコンプレックスを抱えながらも、小説家として「遠い声遠い部屋」「ティファニーで朝食を」や実際の殺人事件を扱った渾身のルポタージュ小説の「冷血」等、数々の有名な作品を発表している。

小説がヒットした彼の表向きは、華やかな名声を得ながらも、晩年は酒やドラッグに溺れてしまったところを窺うと、心中は幼い頃から抱え続けた孤独とコンプレックスが自分自身を責め苛み、心身のバランスが崩れてしまっていたのではないかと私なりに思うところである。

そう考えると、人間はいかに家族や周囲との関りが大切であるかと思い、カポーティの波乱に満ちた生涯が悲しいものであったと感じずにはいられない。

カポーティの生き方について予備知識を得て読んだからこそ、彼が若いときに書いたこの「おじいさんの思い出」は、よくある話のように思えながらもより新鮮に感じられ、まだ小説家として駆け出しであったカポーティの若くて純粋な心が浮き出てくるように思えてくる。

この話は主人公で当時幼い少年だったボビーが、おじいさんとおばあさんと暮らしていたウェストヴァージニア州の山のふもとの家を離れてい行ったあの日の事を思い返す場面から始まり、おじいさんと別れるまでの少年の心の中や、おじいさんと少年との切ないやり取り、おばあさんの病状、新しい生活をする事に決めた両親の気持ちなどが、柔らかく刻み込む様な文章で語られているのが特徴的である。

よって、中学生はちょうど読み頃であり、小学生でも感じられるものが何か掴めるかもしれない作品である。

ボビーの両親は、町に引っ越すことでボビーにより良い教育を受けさせ立派な大人にする目的が感じられる場面では、カポーティ自身の半分親に見放された複雑な少年時代の心境とは裏腹に書かれているようで、彼のそうあって欲しかったという願望が文に表れているように感じた次第である。

終盤にボビーは、おじいさんがずっと秘め続けていた秘密を知ることになるのであるが、本の銅版画の挿絵を見ると、一層その秘密についての思いが募ってくる。

人が人知れず抱き続ける秘密の思いというものは、案外身近なものにあるのだと感じるとともに、カポーティの思い描いた温かい理想の家庭像が、最後の場面に込められているのだとひしひしと感じたものである。

良い小説というものは時代が変わっても変わることのない普遍性がある。

この「おじいさんの思い出」もそのようなものだと思っており、このように人の真心がつづられた話がずっと先の未来まで読み続けられることを私は願うばかりである。

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