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輝きを求めて


職場のおじさんだけが私の些細な変化に気づいてくれる。
「あれ、なんか雰囲気変わった?」
「そうかな〜?なんですかね!笑」
とぼけてみるが、実は最近私のビューティーアドバイザー(姉)の助言を受けメイクを変えている。華のない顔が少しだけ映えるようになったのは事実。おじさん、気づいてくれていた。自分がちゃんと変化していることを教えてくれる存在にはいつも助けられる。こういう数分の小さな出来事が、1日2日前を向いて生きれるくらいの大きな活力になっていることを最近実感している。小さな幸せの積み重ねで日々生きながらえているのかも。


採血のお姉さんがテーマパークのスタッフ並みの明るさで血を採ってくれた。採血が苦手なのでかなり助かった。

メッセージでやりとりをしていた友達が急に電話をかけてきた。「電話の方が早いと思って(笑)」私が電話をすんなりできるタイプではないので、電話をかけるのに心の準備がいらない相手と認識してくれているようですごく嬉しかった。
そんな友達と定期的な飲みに行った。会って早々、ファミレス飲みを提案されて本当にこの子は愛おしいなと思った。彼女の前では一人前の大人でいなきゃという気張りが解けてしまう。なんてありがたい存在だ。もちろんそんな最高な提案にOKして大寒波の中を2人で進んだ。寒すぎる!と縮こまりながら友達と歩くことがこんなに楽しいなんて。
相変わらず私とは反対の考え方なのに、居心地の良さが尋常じゃない。それに反対の考えだからこそ、彼女といると自分がいかにないものねだりをしているかがわかる。「結局ないものねだりだよね〜」毎回これに辿り着くのだが、私はそんなとき、彼女が中学生の時に「あれが欲しい、これが欲しい、わがままな君に見惚れてる」と歌いながら楽しそうに踊っていたことをいつも思い出す。ただそれは「ないものねだり」ではなく「なんでもねだり」なのだ。
職場のおじさんが私にしてくれたように少しの言葉が大きな活力になることを知ったからこそ、私も今日彼女に会えてよかった、元気出たと伝えた。私の言葉も彼女が1日2日頑張れるくらいの活力になっていれば嬉しい。


知らない間に血を流していたらしく、気づくと家のいたるところ、持ち物に血痕が付いていた。物理的に身を削る生活をしているらしい。
自分の状態が良くない時は大体、部屋がとんでもないことになっている。部屋の惨状を見て片付けようと思う気持ちが湧かなくなり、部屋の血痕も厭わずとりあえずご飯を食べてとりあえず睡眠を取ろうが最優先になっているのだ。掃除が嫌いなわけではないのでだいたい週末になれば一気に片付けられるのだが、5日後にはまた元に戻っている始末。下の階に住むおじいちゃんのゴミ屋敷はよりはマシだろう、と言い聞かせている。
その反対で花を買いたくなったとき、私は自分の生活に余裕ができたのだと判断している。部屋が花を飾れる状態であること、花を愛でる気持ちが芽生えていること、綺麗なものを欲していること、それが私の余裕の証でふらっとお気に入りの花をお持ち帰りする。
花を持って歩くことでもまた、心の余裕に繋がる。誰にプレゼントするわけでもなく、何か特別なことがあるわけでもない、そんな時に花を持っている方がワクワクが大きい。花好きはきっとおばあちゃん由来。季節ごとに時期の花を植えかえるおばあちゃんの気持ちが今になってよくわかる。

周りを見渡せば暖かい人ばかりで、
週はじめなのに体を弾ませて帰宅している。
顔を上げてもっと、輝くものだけ探していたい。


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