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象と店長さん

人のいいところに目がいかなくなって、私の頭の中は偏見で溢れて、気に食わない考えに頭の中ですぐ反論したりして、ちょっとでも嫌だと思ったら子供のようにすぐ否定して、いっそのことギロチンのように一瞬で頭を切り落として考えることをやめられたら楽なのに、と気持ち悪い妄想をしてしまう。醜い思考でどろどろになった頭ではこんなことしか考えられないのかもしれない。先週観たエクソシストの気持ち悪いワンシーンが頭をよぎる。キャサリンが悪魔祓いで吐き出したあの異物。おそらくあんな感じのが私の頭蓋骨にも詰まっているのだ。悪魔祓いで吐き出せるならギロチンじゃなくてそっちの方が断然いいのだけれど。

ちょっとでもいい自分を引き出したくて、いつもよりたくさん、それから最後まではっきりとありがとうございます。と口に出してみる。それだけでもいい人になれていると思えた自分は甘いだろうか。ただ、もはやこれは、口癖のようになってしまって、解決になっていない気もしてきている。
会社近くのコンビニの店長さんは、割引のレシートを探すためにゴミ箱を漁ってくれたらしい。職場ではそんな話で盛り上がっていた。いくらお客さんのためと言ってもゴミ箱を漁るコンビニ店長さんと比べてしまったら、私の渾身のありがとうございますもなんだか霞んでしまう。

こんな時にそんなことないよ、と言ってくれる優しい誰かはいつ隣に来てくれるのだろうか。だけど理想の誰かなど考え始めたら自分の醜悪さがまた増す気がして、それはぬいぐるみなんかがいいと思った。ふわふわでいい匂いのする象のぬいぐるみがいい。その鼻でくるっと巻き込んで大きな耳を扇いでいい匂いを飛ばして欲しい。他人を落とすことでしか自分を上げられない自分を何も言わずに、鼻でぐるぐるまきにして欲しいのだ。そう思って私のベッドにいる象のぬいぐるみを見たが、「できない、ごめん」といった具合で申し訳なさそうに項垂れているだけだった。

ちょっとでも良い自分でいたくて、人前ではスカしたことを言ってカッコつけたりする。大体家に帰れば、何言ってんだろ、中身はこんなカッスカスなのに、と象と並んで項垂れる。私が大嫌いな口だけ人間に成り下がっている事実がある家に帰る一人暮らしほどしんどいものはない。私の楽園はいつからこんな奴との同居になったんだ。家賃も払っていないくせに。

コンビニの店長さんは今日も、私とミックスナッツを両手を広げて待ってくれている。まだレジまで5メートルくらいあるのに私を抱きしめそうな勢いで両手を広げてくれている。お客様は神様スピリッツはまだこの下町には残り続けているみたい。
そんな店長さんだが、眠そうなうちの社員を見かけて「引っ叩いてあげましょうか?!」と口にしたという噂を聞いた。優しさが度を越していて大爆笑してしまった。5メートルを1メートルと勘違いするくらいだから人との距離感がわかっていないのかもしれない。
でもきっとその度が過ぎるほどの優しさはとんでもなく疲れてしまうのではないか。私が自分の醜さと対峙して頭を悩ませているのと、人に良いサービスを提供したいを思考を巡らすのでは後者のパワーが強過ぎる。それが店長さんの24時間の中の数時間だとしてもそれを出し続けるのは相当エネルギーを消費するだろう。

もう店長さんと一緒に象の鼻に包まれようか、店長さんの方を長く包ませてあげよう、良い匂いマシマシで。店長さんは顔までぐるぐるに包まれて、ズレてしまったメガネなど気にせず心を休めているだろう。私はそれを眺めて大爆笑しながら、明日会社の人に話そうなんて考えるのだろう。どんなふうに話を組み立てたらみんなが笑ってくれるだろうか。そんなことだけ考えられたなら、悪魔祓いをしたりギロチンで頭を切り落とす必要もないのかもしれない。

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