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働き盛り、生き盛り

何かすごいものを読んでいる気がする。
熱と鼻づまりでぼーっとする頭でそんなことを考えた。
久しぶりに体調を崩したこともあり、家でゆっくりするため、未読のまま積まれていた本たちを解体することにした。選んだのは窪美澄さんの「トリニティ」。本屋で窪さんの作品を見つけると内容問わず手を伸ばすようになったのは最近のこと。どれを読んでも思わずnoteを開いてその余韻のまま誰かに押し売りしたくなるほど大好きで、今もこうして押し売りしにきた。

トリニティは、変わりゆく激動の時代を生きた3人の女性の話。ライターの登紀子、イラストレーターの妙子、OLの鈴子。タイプの違う3人の女性が同じ会社で出会い、仕事、結婚、子供、と女性が生きていく中で生まれる様々な出来事に対してそれぞれがどんな選択を取り、その結果どんな人生を経ていくのか、同じ女性としてかなり受け入れやすいテーマだった。また今のようにセクシュアリティについての認知度が高くなかった時代を生きた彼女たちの力強さを感じる一冊だった。歴史的な出来事も併せて進んでいく本作。彼女たちの生き様然り、自分が知らない時代のエネルギーをドバドバ浴びた。

いつもはお酒を飲むように浸るのが窪さんの作品だったのだが、今回は全ページにみなぎるパワーに圧倒された。働く女性が働く女性について書くとこんなにもパワーが出るのかと、窪さんの新たな魅力に触れた気がする。
登場人物も今までは街ですれ違った人、電車で隣に座った人、そんな誰ともわからないがどこかにいるんだろうなというイメージだったが、今回は確実に読んだ人全てが共通認識を持つような鮮明さだった。もちろんモデルはいるようなのだが、書いてある一言一句全てが事実であるかのような鮮明さに引き込まれた。登紀子、妙子、鈴子が実在する。ここまではっきりと自分の中で登場人物の息を感じたのは初めてだった。読み進める手が止まらず、鼻づまりの息苦しさも忘れて没頭していた。

この作品を読んで、ここ数年、自分の中のテーマや悩みのタネが「女性と男性」であったことに気づいた。人ではなく「女性と男性」というものさしで測り、女性だからこうなんだ、男性だからこうなんだ、と納得させていることが多かった。むしろわかりやすく判断材料になっていいじゃない、とすら思っていた。こうやって書きながら思えばかなり古風な考え方だし、解決した気になっていても何処かずっと受け入れられないようなモヤモヤした感覚がまとわりついていたことは事実。白黒つけられない問題に対して無理矢理白黒つけようとしていたからかもしれない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(以下、今回の作品を読んでみえてきた自分のセクシュアリティに対する考え方を交えながら話します…)

自分は女性であり、この性別に生まれて来て何不自由はしていない。どちらかと言えば考え方は鈴子に近く、女性として生まれたからには女性としての生き方を全うしようというタイプ。先陣を切って社会に何か新しい風を吹かせようということはあまり思わないし、波風立たない生き方が一番に合っているような気がする。だから男性の新たな道を切り開こうとする姿勢は強く尊敬していた。もちろん女性ができないわけではないが、男性特有のエネルギーがなんだか羨ましかった。
また心の何処かで、自分の中の男性性を絞り出さないといけないような気もしていた。私にはない要素を頑張って抽出するためにかなり労力を消費しなければいけない感じ。「いっそ男性になって無理なくエネルギー出力100%で生きられたらよかったのに…」社会人になって、働くことが生きるベースになって、最前線で働く男性と接するようになってそんな思いがより一層強くなった。
だからこそ私は登紀子の人生に一番惹かれた。登紀子の概念にとらわれない、女性とも男性とも決め付けられない働き方やセンスに衝撃を受けた。男性誌のライターとしてファッション、車、セックスというテーマで男性から支持を得る内容をテーマにしつつも、その物書きは繊細で上品。女性が読んでも気持ち悪さがないのが特徴だった。また、その働き方も従来の女性はこうあるべきという概念にはとらわれていない。(男女を基準に表現するのはやめたいが…)わかりやすく言えば、男性のような野心を持って働く。ただそこも周りの男性社員とは違うところがあり、だらだら残業せず時間内にきっちり働く姿勢もあった。
仕事だけでなく、恋愛観においても登紀子には従来の概念は通用しない。旦那さんがいても他の男性と会うことがあり、それに対して旦那さんに抱く感情とは全くの別物として認識していた。性的欲求をフレッシュな異性で満たしたい気持ちが往々にしてあり、その対象が誰か1人でもないのだ。結婚は結婚、それ以外は食欲睡眠欲と同列の欲。以前、SNS上で見かけた有名アーティストの「表現することにおいて道徳的、倫理的な話はあまり興味がない」という言葉を借りて話せば、ライターとして表現し続ける登紀子、常に新しさを求める登紀子の中では道徳や倫理など入り込む隙がなかったのかもしれない。(ただ、男に依存しないで生きる登紀子にも、縋ってしまうシーンがやっぱりあり、その人間味も私がファンになった要因の一つ。男性に縋ってしまうのは女性の性なのかもしれない…この辺も丁寧に描写してくれる窪さん。ありがとうございます。)

さらに、ここに対して、私が危惧していた男性性を引き出すことをはじめとした労力が全く見受けられなかったところに驚いた。「誰が決めたの?そんなこと。私がやりたいことをやって、働きたいように働く。性別における役割の違いとかないから。」この激動の時代に自分が1番大切にしている仕事において男女の線引きなど登紀子の中にはなかった。そんな姿勢を貫く登紀子がとにかくかっこよく、何より働きやすくみえた。時代を引っ張る女のかっこよさたるや。近くに登紀子のような女性がいたら常に人生相談をしていたかもしれない。

もちろん、これだけLGBTQ、フェミニズム、ジェンダー、のようなセクシュアリティに関するワードが飛び交う世の中になったので同じようなことを言う人はたくさん見た。でも発信者の多くは海外アーティストや有名人、女性の政治家、なんだか凄そうな人、顔も見えないSNS上でのやり取りといった印象だったので、どこか身近に感じることができないでいた。
ただ、この作品を通して(好きな作家さんだから説得力がすごいのもあるが)身近に感じられなかったセクシュアリティの話が、彼女たちの具体的な生い立ちを織り交ぜたことでしっくり落とし込めるようになった。今までちょっと難しい話ではあったが、「そもそも男女を物差しに考える世の中を変えていかないといけない」となんとなく自分にも解決したいというかけらが見えた。

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セクシュアリティによる不必要な垣根を取っ払って曖昧も受け入れること。これが今の私にできることかもしれない。まだ声を大にして発信できるほど、燃えたぎる気持ちでないことは事実だが、自分の中の意識を少しづつ変えていくことで、現代のさまざまなグレーに対して柔軟に対応できる自分になりたいと思った。今、この時代で楽に息をするために。

働くことに必死で生きることに必死な私たちに向けた一冊。
登紀子みたいに生きても、妙子みたいに生きても、鈴子みたいに生きてもいいじゃない。どれが正解でも不正解でもない。3人の先駆者が切り開いた道を目の当たりにした現代の私たちがどんな選択をしたいと思ったか。恋愛、仕事、結婚、子供…自分が人生の中で何を一番大事にするのか。過去がこうだったから、世間一般がこうだから、誰かに言われたから、ではなく決めるのは私。決めた先で待ち受けた未来に対して責任を取るのも私。正解不正解を追い求めるのではなくて自分流の人生をただただ必死に描いていくのだ。そうなればどんな未来が待っていても私はいい人生だったと言えるような気がする。


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