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愛i+愛+i愛=??

愛が欲しかった。気がついた頃には私は愛に飢えていた。小さな愛、優しい愛、甘い愛、温かい愛、不器用な愛、それらのためなら目の前にいる相手に平気で嘘をついた。息を吸うように空気を読んで息を吐くように嘘をつく私はそこからたまに零れ落ちる愛を酷く好んだ。身体の繋がりで育む愛ではない愛こそが美しいと信じて病まず、言葉の端々で感じる優しさや私に対する好意を貪った。どんな人間でも目の前の私を好きでいて欲しかった。嫌いな上司にも、たまに行くコンビニの店員さんにも、そんなに仲良くない友達にもみんなから愛されたかった。そんな私をみんなにいい顔する八方美人だとバカにしてくる人にもありがとうと答えた。どうせなら愛想悪い八方ブスよりも愛想いい八方美人でいたいじゃない。「あなたは年上に頼りすぎだし、甘えすぎ。」と嫌いな上司に怒られている時だって以後気をつけます。なんて口にしながら、この人は甘え方も頼り方も分からずに大人になってしまったのだとその上司を哀れんだ。若いうちだけ、女だからよとみんなは口を揃えて言う。だったら、今貰えるものを貰っておかなかったらいつもらうのだろうか?今のうちに知らないことを沢山聞いて、苦手なことは手伝ってくださいと頼らずにどうやって大人になるんだろうか?と不思議にさせる。今、沢山甘えて頼って大人になった時に貰った分を返せばいいじゃないか。頼られる方だって別に悪い気はしてないのは知っている。だから、分からない時はすぐ頼る。ここがどうしてもわからないんです、って簡単なことでも深刻そうに下からお願いする。教えて貰ったらありがとうございますといつもよりワントーン高い声でお礼を言う。そしてその後に、一言相手を褒める。一言でいい、○○さんのアドバイスって的確で分かりやすいからいつも聞いちゃうんです。とかその人の長所を褒める。そしたら、何も言わずとも手伝ってくれたり、本当に困った時に「大丈夫?」と手を差し伸べてくれたりする。その手に甘えるのことの何が悪いのかとすら思う私は黒い。白を装ってるだけで、根の本質はとても黒い。だから、たまにいる根の本質から白い人と一緒にいる時私はとても惨めで醜い気持ちになる。生まれながらに愛を得てきた人は、私にはない余裕と優しさで周りの愛を簡単に掴んでしまう。その白さを濁してしまいたいという気持ちと、その白さを愛せたらという気持ちが喧嘩して私の黒さが酷く目立つ。だから、そういう人は自分から近づかないようにしている。そんな私はたまに虚しくなる。そんな私は何が本当の愛か分からなくなる。愛に飢えて、愛を植えて、その愛が相手の中で大きな愛に育てば私はとても恐ろしくなって逃げた。私ではない相手の中にいる私がとても気持ち悪く感じ逃げた。全部が全部そうではないが、私は植えた愛が育つのを酷く恐れた。そんな風に感じる自分がとても怖くなる。平気でお世辞や嘘をつきすぎてたまに本当の自分がわからなくなる。自分のことが気持ち悪くて気持ち悪くて殺したくなる。けれど、そんな瞬間ですら私は思うのだ。”あぁ、愛が欲しい”と。お疲れ様ですと書いてある缶コーヒーを飲むような小さな愛が欲しい。子どもを寝かしつけるような優しい愛が欲しい。私を見つめてかわいいと言ってくれる甘い愛が欲しい。逆剥けを心配して絆創膏をくれる店員さんの温かい愛が欲しい。間違えて買ってきたと私の好きな食べ物をくれる不器用な愛が欲しい。そんな私を抱きしめてくれる愛が、愛が欲しい。そんな事考えてたらあの人に会いたいと思った。けれど、こんなんじゃだめだ。こんなズルい気持ちは愛なんて呼べない。この欲求はいくら求めても終わることはないような気がした。愛を欲しがるがあまりに犯した9歳の罪を懺悔しない限り、この欲望は終わることがないような気がした。早く許されたい。
2022.6.10

1年前の私。9歳の罪もそんなに重く捉えなくていいのかもって思えてきた最近に、ひとつの愛で満足する時間が長くなってきた最近。少しずつだけど変わってゆく。

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