見出し画像

将来死んでしまうのに今何をするのか?(1)@2023/1/19

どうも!おっさんです。

今日はタイトルにある問題を考えますが、書き始めた段階で何も決まってません。書きながら考えます。

先週、中島義道さんの著書『哲学の教科書』っていうのを、Amazonで、買ってもなくても、チラ見しただけなんですけど、それで、色々と思うことがあり、超長期の視点で考えにふけるという時間が出てきてしまっています。それも後でちゃんと読もうとは思っているんですけど、色々、雑用があり、後回しになっています。

結局、人って死んでしまうんですよね。死ぬ間際まで、コツコツ、お金とか努力とか信用とか、立派な家とか、自分の会社とか、自分が書いたプログラムとか、色々積み上げてはいくわけなんですが、結局、死んでしまうんですよね。死んでも人々の記憶に残るとか、そういうのもあるんでしょうけど、それも、通常だと、100年もすれば、自分が知ってる人も全員死に絶えて、100億年すれば、太陽すら燃え尽きてしまいます。地球は太陽に飲み込まれなかったとしても、マイナス270度みたいなありえないキンキンの状態に凍って、生命の息吹も1ミリもないような状態で宇宙をさまようことになるんですよね。それが一番マシなコースなんですよね。

そして、無限の真っ暗闇に包まれてしまう。今だって、宇宙は真っ暗です。たまたま、我々が居る手元だけが明るい、ということです。

一方で、もし、宇宙の未来が明るかったとしても、それを見ることはできないわけですからね。無限の時間の中で、何も知覚できないということなんです。それってどういう状況なのか意味が分かりませんね。もし、生き返ることがあれば「あ、俺、1億年ぐらい死んでたわ!」って気付くんでしょうけど、生き返らなかったら、それも分かりません。そして、元の体に生き返ったりは通常できません。

そこで、こんな話も考えてみて、

そちらの結論としては、全てを忘れているかもしれないけど、生まれ変わることはありえなくもない、ということでした。そうであれば、少しだけ、希望は持てます。

じゃあ、それを踏まえて、今、何しますか?って話なわけですよ。直近では、2月末ぐらいまでかけて、ネトゲを片付けてます。最後のご奉公ということで、これで数年ぐらいは終わりにするというぐらいの気持ちでやっています。

その後は、中島さんの本を1~2冊読んだり、永井均さんの本も1~2冊読んだり、一通り整理が付いたら、統計検定の勉強でもしようかな、とか、それも取れたら、E資格も取ろうかな、それで、AIの仕事に戻れたらいいな、とか、そのへんまでは考えてるんですけど、その先ですよね。AIの仕事に戻れても、戻れなくても、サラリーマン生活が続いて行く点に変わりはないわけです。でも、それでいいのかな?っていう感じなんですよね。

確かに、サラリーマンは貯金はできますけど、貯金って、持ってるだけじゃ、しょうがないでしょう。それで、投資に回して、脱サラできるぐらいまで、膨らましたいとか、っていうのも考えるんですけど、そうなると、お金はあまりますよね。逆にそれほどもは儲からないかもしれないですしね。

お金が凄く儲かったら、キャバクラとかも行きたいですけど、いや、むしろ、逆に儲からなくても、今から行けば?っていうのも、一方でありますよね。明日、交通事故で死ぬかもしれないですし。。とは言え、ドケチなので、あぶく銭でなければ、行けないんですよね。

キャバクラじゃなくていいんですけど、女の子と話でもしたいですね。でも、彼女とか奥さんとかじゃないんですよね。女の子って言っても、年いくつだよ?っていうのもあるかもしれません。まぁ、割と何歳でもいいです。でも、これが意外と捕まらないんですよね。現状、具体的に探してないっていうのもありますけど。。やっぱり、相手は、居るとすれば、目的を持って私に会うと思うので。。それが、この年だと、大体は結婚とかだったりするわけで、でも、結婚はしないんですよね。「結婚しなくてもいい、内縁でもいい」みたいな人も居ると思うんですけど、そういう話じゃないんですよね。とにかく固定化されるのがイヤなんですよね。でも、固定化しないと、毎度、相手を探すのに手間がかかるわけなんですよね。1年契約で、茶飲み友達とか見付けられればいいんですけどね。希望者、もし、居たら、メッセージ送っといてください。どっかからか送れると思います。

で、それ以外で、何か無いかな、っていうのもありますよね。何か、新しいことをしてないと、人生って、あっという間に過ぎて行ってしまうと思うんですよね。キャンプとかですかね。キャンプで女の子に会うっていう手もありますよね。

でも、それって、単なる気晴らしですからね。何か、こう、構想のようなものは無いのかな?とも思います。とは言え、構想して、実現したとしても、死んでしまうんですけどね。死んでしまうとしても、やる価値があることって、何なんでしょうね。死んでしまうとしたら、全てが虚しいような気がします。何か、私に新しい世界観をもたらしてくれるような何かがいいのかもしれません。それが何なのかは、分からないのですが。。死んでしまって、全てが無になるというのは、とても強力で、これに抵抗できる価値観って何なんでしょうね。

夜間大学とかも考えてましたね。それで物理とか勉強してたら、量子力学とかの勉強で何かに気付いたりするのかな?しないのかな?たぶん、大した気付きではないかもしれません。が、何か気付くかもしれません。でも、夜間大学に行くのは、なかなか負担です。気が向いた時に、量子力学の本を読めば簡単です。

秋葉原の耳かきサロンとか、マッサージ店とか行ってみようかな。今、必要なのは、スキンシップかもしれません。触られたい願望。。んー、まずは、お手軽にそのへんかな。。たとえ、死ぬとしても、今、気持ちいいのであれば、それは良し。これも気晴らしと言えば、気晴らしに過ぎないのですが。。

つづく。。

続編


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?