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信心こそが救いの道であるとはどういうことか?@2023/2/24

はい、どうも、おっさんです。

今日は宗教っぽい話になりますが、私が見聞きしたことを、整合性が取れるように私がオリジナルでつぎはぎした話になります。


「死=無限の時間軸の中に閉じ込められる」説

どこで聞いたかは忘れましたが、どこかで聞いた説です。これは、死ぬ瞬間の時間は、死ぬ当人にとっては、無限に引き延ばされて、永遠に生と死のはざまに取り残される、という説です。

たとえば、こんな感じです。

死ぬ直前の1時間前~2時間前=通常の1時間に相当
死ぬ直前の30分前~1時間前=通常の1時間に相当
死ぬ直前の15分前~30分前=通常の1時間に相当
死ぬ直前の7.5分前~15分前=通常の1時間に相当
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つまり、死ぬ瞬間が近づくにつれ、時間はどんどん引き延ばされていくということです。

筒井康隆の小説でも、自分の動きが早くなり過ぎて、周りがどんどん遅く感じるようになる男の話がありましたが、あれも同じですね。

というわけで、その無限の時間で自分が何を考えているかというと、最後の瞬間に自分が考えていたこと、です。

つまり、「お豆腐買うの忘れてた!買いに戻らなきゃ!」と思って、道路に出てトラックにはねられた主婦は、無限の時間の中で永遠にお豆腐を求めてさまよう、ということです。

もしくは、「人を殺してしまった。この罪はどうやっても許されない!」と思い悩んでいる犯人は、その罪業感の中で永遠に囚われる、ということです。

信心こそが救いの道であるとは?

手前の例のうち2つ目の「人を殺してしまった!自分は許されない!」という悩みについては、なんとかなりえます。その方法とは宗教です。宗教によっては、御仏の力を信じれば救われるとか、神の前で悔い改めれば救われるとか、そういう考え方があります。それに則れば、このようなケースでも、「自分は救われる!」と考えることができるので、最後の感情は「自分は救われる!」となるわけで、そのため、永遠に続く救いの世界に突入することができる、ということです。

一方で、お豆腐を買いに戻った主婦のように、アクシデントで急死する場合、もし、信心があったとしても、その時はお豆腐のことを考えているわけであり、救われない可能性があります。これへの対策としては、やはり、交通事故には特に気を付けるとか、暗殺などの標的にならないように気を付ける、ということくらいしか思い浮かびません。もしくは、急いでいる時こそ、心に余裕を持つようにするとか、急いでいる時こそ、信心を思い起こすようにするとか、そういう対策はあるかもしれません。

まとめ

というわけで、「自分は救われる!」という確信や実感が持てれば、宗教は何でも良いのかもしれません。そうであるならば、最大の敵は交通事故です!気を付けましょう!

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