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 ”mirror(鏡)-mirage(蜃気楼)” その二



 「鏡を貸してくれ。もし息で表が曇るなら,それなら,これは生きているのだ」
 狂乱に陥った悲惨なリヤ王が最後に吐くこの一節は、作品の中で「鏡」をつくる時に、私の背後から役割りを与えてきました。

 先日「鏡に絵を見せたい」と私が言ったときは、「訳ががわからない」といった雰囲気が漂っていましたね。皆さんがポカンとされていたような感触がありました。違っていますでしょうか。

 鏡に絵を見せることは、リヤ王における生存確認とは異なります。しかしながら、鏡は人が用いるゆえに、愛憎の対象物として写された像は、自尊心と密接に結びついたり、妄想を膨らませたり、思い込んだりという、感情に左右されるものです。鏡は、愛憎の対象として大切にされ、また安易に粉々に破壊されます。
 そのように鏡に何かを写すという行動が人の心にもたらす作用の中に、前述のリア王の一節に見られるとても簡素な行為、「息」を写すことが不思議と繋がっています。

 鏡に霧を写すことはできるでしょうか。実態がなければ像を結ばない鏡。ふと、蜃気楼のように、同じ光の屈折による現象でも、そこにない像を出現させる自然現象があることを思い出しました。実在も映像もVRも、脳内では、ほぼ同等の信号として入力される現在で、肉体の水分を含む息という原初的なこと、自分が今まで使ってきた「鏡」の次の話を見つけに、一旦蜃気楼の中に入る感じがしてます。

 モノタイプの絵は、あるストーリーから人を抜いたものを順番に描いていっても良いかなとも思っています。例えばその物語はまだ決めていませんが、植物の名前や動物の名前や地名等々。

これから、また通行許可証を持って舟に乗る旅が始まります。



©️松井智惠                 2023年10月15日筆

2024年3月の個展に向けてのメモ

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