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上杉謙信公はお節介?遺訓は一六個の戒め

1.これはなに?

誰かに対して遺された言葉や作品は、その人の人生が詰まっています。
サンテグジュペリの『星の王子さま』も、目には見えない大切なメッセージをストーリーという形で子どもたちに伝えようとしています。

偉人が、子孫や家臣に向けて遺した言葉は、“遺訓” と呼ばれますが、
それらを取り上げながら、日々の学びに変えていこうというのが、
“遺訓探訪” シリーズです。
ぜひ、みなさんの解釈についてもお聞かせいただけると幸いです。

シリーズの第3回は、川中島で甲斐の虎・武田信玄と激戦を繰り広げた、軍神・上杉謙信公の家訓を取り上げます。
上杉謙信の遺した家訓は「宝心在(ほうしんざい)」と呼ばれており、心の持ち方こそ財産だと説きます。
16個もの戒めが遺されており、覚えられず、日次で繰り返しながら復唱したいと思いました(笑)

筆者も山形県は米沢市の上杉神社に訪れたことがあり、石碑を読んだ記憶があります。

2.上杉謙信公の遺訓:「宝心在」

 〇 上杉謙信公家訓十六ケ条
 一、心に物なき時は 心広く体泰らかなり
 一、心に我儘なき時は 愛敬失わず
 一、心に欲なき時は 義理を行う
 一、心に私なき時は 疑うことなし
 一、心に驕りなき時は 人を教う
 一、心に誤りなき時は 人を畏れず
 一、心に邪見なき時は 人を育つる
 一、心に貪(むさぼ)りなき時は 人に諂(へつら)うことなし
 一、心に怒りなき時は 言葉和らかなり
 一、心に堪忍ある時は 事を調(ととの)う
 一、心に曇りなき時は 心静かなり
 一、心に勇みある時は 悔やむことなし
 一、心賤しからざる時は 願い好まず
 一、心に孝行ある時は 忠節厚し
 一、心に自慢なき時は 人の善を知り
 一、心に迷いなき時は 人を咎めず

~ 意訳 ~
 (1).物欲がなければ、心はゆったりとし、体は安らかである
 (2).身勝手な衝動に心を許さなければ、相手から愛される
 (3).無欲であれば、義理に適った正しい行いができる
 (4).私欲がなければ、猜疑心に駆られることがない
 (5).驕り高ぶる心がないときにはじめて、人を諭し教えられる
 (6).心に間違いがなければ、人を前にして堂々としていられる
 (7).よこしまな見方をしないときに、人を育てることができる
 (8).欲深さから解き放たれていると、人に媚びへつらう必要がない
 (9).怒りを克服できているときは、言葉遣いもやわらかだ
 (10).忍耐すれば何事も成就する
 (11).心に覚悟が決まっていてこそ、穏やかでいられる
 (12).勇気を持っておこなえば、悔やむことはない
 (13).卑しさがないときは、他力本願はしないものだ
 (14).孝行の心があれば、忠誠心が深い
 (15).うぬぼれない時は、人の長所や良さに目を向ける
 (16).信念が屹立していれば、人を悪くいわない

3.所感

当たり前っちゃ当たり前ですが、どれもハッとするような鋭さをもった言葉かなと思っているのですが、
とくに印象に残ったものをピックアップしようと思います。

 一、心に我儘なき時は 愛敬失わず

まず、ほんとそうだなと思ったのが👆の家訓。
愛嬌を「人に愛される」と訳してみましたが、
傍若無人とまでは言わないまでも、勝手気ままな行動をしてしまう人は、なかなか周囲に愛されることはないな、
逆に、周囲に対して貢献しようと動いている人は、自然と愛されるなと、
いろいろと振り返って思いました。

 一、心に驕りなき時は 人を教う
 一、心に邪見なき時は 人を育つる

人に対して指導するときのスタンスについての家訓がこの2つ。
1つ目は、こちらが指導するだけでは「教え」たことにはならず、奢りなく接することで相手に伝わり、「教え」ることができる、という意味に受け取りました。

2つ目は、人を育てる際には、相手を信頼し、正面から三木愛、
疑わないことが大事なんだなと思いました。

 一、心に怒りなき時は 言葉和らかなり
 一、心に堪忍ある時は 事を調(ととの)う

個人的にマジか!と思ったのがこの2つ。
“堪忍” は家康も説いていました が、上杉謙信も言っていたのか!という驚きと、
海音寺潮五郎の時代小説で、上杉謙信の成長ストーリーを描いた『天と地と』では、
(小説ではありますが)なかなか短気と言いますが、激情的な性格で描かれていまして、そんな人物が怒りはよくないとか、堪忍が大事やでと説いているのはオモロイなと思いました。


 一、心に勇みある時は 悔やむことなし
 一、心賤しからざる時は 願い好まず
 一、心に迷いなき時は 人を咎めず

この3つは、いわゆる「コトに向かう」ことを説いている教えと解釈しました。
卑屈にとどまらず、また傲慢にも陥らず、
真の勇気をもって、コトに取り組めば、たとえうまく行ってもすっきりと次に向かうことができ、
また他力本願に陥ることなく実行することができ、
そして人に関する言い訳をのべることもないわけです。

なかなか、深いですね。


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(上杉謙信公像|撮影 筆者。新潟県上越市、春日山神社にて。)

4.さいごに

改めてですが、“遺訓探訪” シリーズは、人間修養中の身である自分としても、学んでいく意識で取り上げていきます。
ぜひ、みなさんの解釈についてもお聞かせいただけると勉強になります。

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