見出し画像

『自分機能拡張と感情プロセスの起動』番外編、神(親と義務教育)は死んだ!


スピパラ通信 第13回
今回は神は(親と義務教育)は死んだ!

自分機能拡張の最終回は機能拡張を妨げる偏った認知の要因について考えます。




自分機能拡張に関わる能力や可能性は、生まれながらに持っているものだけでなく、成長する過程で様々な経験や環境によって形成されていきます。


それは子供時代に人や自然と直接触れ合う体験や、学習や課題に取り組む機会が多いほど、豊かな創造力、主体性や協働性などを育むことができます。

しかし、現代の子供は、インターネットやゲームなどの擬似的・間接的な体験が増える一方で、リアルな体験の機会が減少しているという問題が指摘されています。

子供が十分な体験により、経験値を重ねて行くためには、環境が重要ですが、幼少期の育成に関わる親と義務教育が、それを妨げる要因であることも否めません。親の評価や言動は、子どもの自己評価や自己効力感に大きな影響を及ぼし、義務教育の現実は、担当者の指導力や信念(基本的価値観)により、教育の質や環境が安定することはない。こんな不完全な状況であっても、幼少期には絶対的な価値観として、親と義務教育は神格化されてしまいます。

また、日本では、集団主義や和を重んじることが多く、労働者として規則や指示に従うことを親と義務教育は奨励していきます。
歴史的には、国家のために働くことが美徳とされ、労働者は国民としての義務を果たす存在として教育されてきました。
そして、同じく洗脳され続けた神(親と義務教育)は、若い世代も労働者として生きることが宿命のように、長い年月をかけて洗脳し、労働者として生きることが正しいという価値観を植え付けられます。

これはニーチェが言う「末人」であります。何も目指さず、ただ健康で穏やかに人生が終わることを願っている存在でいることが幸福であると布教されているのです。

親と義務教育により、効率よく大量にモノを生み出すことに価値がある!というような幻想から脱却し、自由に生きることについて、ニーチェは「神は死んだ」という言葉で、キリスト教的な絶対的な価値観は崩壊したことを告げています。
親と義務教育での価値観は、キリスト教的な絶対的な価値観としての、ひとつの類型であり、この価値観に従うことは、ニヒリズムに陥ることを意味しています。
しかし、現実世界において、これらは当然に崩壊しており、神の死によって、人々が自分自身の生き方を選択できるようになったことを示しています。
人々が、自分自身の力や欲望を追求し、自由に生きることで、超人になる可能性は残されているのです!

神の死が、世界を縛りつけていた価値観さえも粉々に砕いたのだから、皆が超人へのダイバーシティ&インクルージョンの世界へ移行したことを意味しています!


古臭い価値観なんて、へのつっぱりはいらんですよ!誰もが自由なのです😜


自分の能力や可能性を不当に低く算定してしまうことは、実際には、様々な要因によって起こっているものです。

しかし、それは決して決定的なものではなく、自分自身や周囲の人々が、能力や可能性を見出し、伸ばし、応援することで、変えることができるモノとも言えます。

人間の能力や可能性は、ものすごいんです!

誰もが超人として生きる世界は、すでに自分の中にあるんじゃないかな😌

ここまで読んで頂きありがとうございました。
次回は2度も下書きに戻した、3度目の自己紹介です、また来週!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?