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毒を吐くにもほどがある話

動物病院にやってくる「健康な」わんにゃんたちの写真を撮って
インスタに載せている。
同業の先輩に「やってみたらいいよ」と言われたからそっかーと思って
やっている。自分のペットたちの写真を載せるだけで喜んでくれる人が思いのほか多くて驚いたけれど、特に手間もかからないので続いている。
時々自分ちのわんにゃんの動画をあげて、BGMで娘のピアノもかけたりして喜んでいる。

インスタは写真がメインでそこに一言添える程度。文字制限もあるのかな。
そこに「インスタ+文章」みたいなアプリができたので推奨する、という広告が載ってきて、人の投稿を見ていたら割と面白そうなので私もやってみた。インスタからつながっているので病院名がアカウントとなっている。
インスタはほぼ公的なものだけれど、もう一つの方は私的なつぶやきを書くことにしていた。noteは改めて時間を作って文章を考えながら書くけれど
もっと考えないで書く、みたいなイメージだろうか。
先日行ったNZの備忘録もそちらに載せた。写真もたくさん掲載できたので。

気に入って投稿しながら時々流れてくる人の投稿を読んでふと思った。
「毒が多いなあ」
私も非常に毒を吐くタイプだけれど、40歳ぐらいの時から
「心の声が随分外にでるようになったな」と自己認識し、更にそれが「おばさんの証」であるという情報を得たので極力心の声を封印することにした。更に長男が所かまわず毒を吐く姿を見て「見苦しいな」と思ったので、自分のところで育った我が子を見てそれを鏡にして反省した。
まるで合わせ鏡で永遠に後ろに扉が見える・・・みたいな図が想像された・・。

話はそれてしまったが「人の毒」ってやっぱり痛いなと思ったのだ。
どこかの場面で自分の思ったことを思いっきり言いたい、誰にもとがめられず!と思っているのかもしれない。そしてそれがそのアプリなのかもしれないけれど、あくまでも公的な場だ。人を傷つけたり傷ついたり。
自分のアカウントで自分の思ったことを呟いているだけなのに、それに対して何かアンチコメントをする。それに対して返事する。第三者が入って来る。もめる。自分のアカウントが原因でこんなことになったから辞める。
辞めるって言ったら「勝手にやめれ」って、また悪意のあるコメントが入る。の繰り返しなのだ。
なんか苦しいなーーーと思ってそのアプリでつぶやくことをやめてしまった。

自営業をしていて知ったことは、人が不愉快になるようなことを
言ったりやったりする人って実は非常に少ないということだ。
ただ、そういう人が目立ってしまって、色々なことや人を巻き込んで大きなことになるので「嫌な奴!!」ってことが目立つけれど
割合的にはたぶん少ないだろうと思う。

先日、釣銭が足りなくて、公式LINEや病院に張り紙をして
「釣銭ありません!ご協力よろしく!」と言ったら、本当にみなさん協力してくれて、中には「大きいお金しかもってこなかったから、一回帰って
ちょうどにして持ってくるわ!!」と言って、本当に帰って持ってきてくれて更に「両替用の細かいお金持ってきたよ」と言って下さる方もいた。
他にも小銭だけでわざわざ支払ってくれる方や「沢山お札持ってきたよ」という方もいる。私がコロナかもしれないから休診とお知らせしたら「抗体キットが家にあったから」と言って届けてくれたり、買い物に出かけられないでしょと言って食料や飲み物を持ってきてくださる方もいた。
地震で停電になったときにろうそくを持ってきてくれた近所の方もいる。
世の中は愛であふれているなって良く感じるのだ。

でもやっぱり嫌な奴は一定の割合でいる。
毒をはくことをやめたって言ったので今回ははかないけれど
まあ、「そんなこと言う必要ある?」という人は存在する。
対面でもそうなんだから、顔がわからないSNSの中ではそれは毒ははきまくりであろう。
でも顔がわからなくたって向こう側には人がいるのだ。
ある程度自分の毒も少しはヴェールに包んで欲しいのだ。

そうやってnoteを読んでいたら、みなさんの文章の美しいこと。
それはもちろん愚痴を言ったりする人もいるけれど
人を不愉快にさせるレベルではない。むしろクスっと笑わせてくれたりする。
コメントももちろん考えてコメントしているのだろう。
決して不愉快になるようなことは書いたり書かれたりしない。

noteの場所がすてきなのか、文章を書くことで毒がいったん
ふるいにかけられるのか。

ふと呟きたいときにまたあのアプリに戻るかもしれないけれど
とりあえず目に入らないところに追いやってしまった。

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