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野生の王国

小さい頃から動物が好きすぎて、死ぬ姿を見ることが嫌だったので
獣医になって全ての動物の命を救いたい!という壮大な夢をもって
獣医になったけれど、今や「救うなんておこまがましい・・・みんないつかは死ぬし」というやる気あんのか?獣医になってしまいました。
ところで、その動物が死ぬという姿を嫌というほど見せられるのが
野生の王国で、野生の動物の世界のことをやっていたものだから
狩りをするライオン、狩られるシマウマ、狩れなくて死ぬライオンなど
とにかく死に直結でした。当然見ることはできませんでした。
今でも厳しいと思います。
獣医になって一番動物の死に近い立場の仕事だと判明し、大分冷静に受け止められるようになった今でも映画やテレビで動物が死ぬ姿はみることはできません。
何度も生まれ変わる犬の話とかはもちろん見ないし
殺し屋のパートナーとして犬が出てくる場合は(ジョン・ウィックなど)
あるいは昔悪いことをしていた人が山小屋に一人で住んでる、プラス犬と一緒に、みたいなシチュエーションで始まる場合は
ネタばれレビューを読んで「犬は死ぬか」ということを確認して
死ぬ場合はみない、あるいは「死ぬシーンは拡張されてるか否か」みたいなことを確認して見ています。

ジョン・ウィックみたいな映画で犬が殺される場合は、あくまでも犬はジョンの身代わりになるので、死ぬ方死なない方の立場も何もないのですが
野生の王国の場合、スポットのあてかたによって、どちらの悲劇か喜劇かは
かわってくる、ということが大人になってわかりました。
狩る側であるライオンのドラマを見れば「生きていくうえで必要な狩り。狩ることができなければ飢え死にの悲劇」
狩られる側であるシマウマのドラマをみれば「狩られたら即死。免れて
仲間の所に戻るシマウマの幸せ」など。

で、私が書きたかったのは毒親の話です。
急に怒り出す母親のもとで育った少女。いつも母の機嫌をうかがう日々。
些細なことで激昂する母。そんな毒親をもつ少女の将来とは。
みたいな物を一瞬見ただけなので、
その母がどれほどのものなのか、少女に何が起きたのかは全く知らないで書きますが。
その母の「毒親」っぷりを再現するシーンで
ご飯よ~と19時にみんなを呼んで食卓につくと、その少女が
「私あとでいい?」と言ってその場を去ろうとします。
そのときにその母が「ちょっと。うちは19時に食事って決まってるの。
その時間に食事をとれないなら私の作ったご飯が食べられないってことね。
じゃあ捨てるわ!!!」と母の怒りマックス。
そこで夫が「まあまあ、子供にも色々あるんだから」と言う。
妻は「色々???私にも色々あるのよ!!!!」と更に火に油・・・という
ものでした。

この一瞬を見て「これは毒親だわ」と思う母親って世の中にいんの?と
思うぐらい「?」でした。
まず「ごはんよ~」と言ってご飯の支度をしているのは、その画像上では母一人でした。父も少女の兄弟も食卓についたまま。
そこに少女がふらっと遅れて来て、なんの理由もなく「私あとでいい?」

え、それは激昂するよね。「すぐ激昂する母」って言われてたけど
すぐじゃないから。まずそこに至るまで誰も何も手伝わないで
食卓に座って燕のヒナみたいに口あけてピーピー言ってるだけ。
そして、さあ食べましょの段階で「私今勉強キリのいいところまでやりたい」とか「お腹が痛くて」とか「どうしても外せない約束があって」などの理由があるならまだしも(まあ私ならその理由も一蹴しますけど)
なんの理由もなく「私あとでいい?」。
は????ってなるに違いない。
あとでいい?ってなにそれ。まずは「お母さんごめん。今〇〇で食べられないけどあとで食べたいんだ、ごめんね。片づけは私がやるから」が
最低限のマナーだと思う。言い方がまずアウト。
そしてそこの火に油をそそぐのはたいてい夫。
「まあまあ、色々あるんだから」って
は?じゃあ一人の食事が遅れることで、全ての調整がずれる後片付け
明日の準備、お風呂の時間、洗濯予定とかあんたがやってくれるんだよね?と言いたい。それもこみでの「まあまあ。落ち着いて」なわけだよね?

私にとってこの母親が激昂するにはそれなりの理由があると思う。
人の子の母である限り、その感情を、感情のままに出してよいか?という
問題はあるけれど
「毒親って言われないとダメなの・・・」と思ってしまった。
子供側からみたら「選べない親がこれって最悪」となり、
その後の人生に影をおとすのかもしれない。
家族にしてみたら「些細なことで怒るうちの奥さんってどうなの」ってなるのかもしれない。
でも母の立場にスポットライトをあててみてほしい。
私もそうだったけれど、あまりにもやることがありすぎて「日々脳内テトリス」を行っている状態でした。
朝掃除、お弁当、子供送り、仕事開始、手術の予約あり、
子供迎え、犬の散歩、買い物、ご飯支度、ご飯、お風呂、洗濯、
明日の手術の準備などがルーティンだとして
そこに「保育所から子供発熱の電話」という
どこにもあてはまらないブロックが急に落ちてくることになる。
そうなると既存のブロックをあれこれ移動、
病院の待合で「あの人に電話してここをずらして、スタッフに早出してもらってこの準備してもらい、夫に電話して他の子供の迎えを頼もう。
なに、俺は今日は無理、の返答。
なにそれ。俺は無理って一言で済ませるのか。死ね。
じゃあベビーシッターさんを頼んであの子の面倒をみてもらおう。手術はいついつにずらしてもらおう」などということを
ずっと考えているわけです。
で、それらがぴったり上手くいくと我ながらうっとりしたりします。
上述のようにたいてい夫は役に立たないことが多いので、その内
なんのあてにもしないようになります。

これらのことを数年、毎日やってきて
大分子供も大きくなって、あとはご飯を作って終わり~という状況の中
たった一言「私あとでいい?」と言われた時の母の気持ち。
それを、全くなんの役にも立たなかった夫が
そんな時だけいい人ぶって「まあまあ子供にも色々あるんだから」って
変な一言を言う。そしてそのあと、特になんの協力をするわけでもないだろう。だって、その場をとりなすためにただ言うだけだから。

それは激昂するよ。「すぐに激昂する」んじゃなくて
激昂するまでに何年分も蓄積してんの!わかる?と言いたい。

というわけで、毒親って言うけどさーーー
どっちにもスポットライトあててみてよ。どっちのドラマも見てよ
と言いたい。

ということを、野生の王国全く関係ないけど
考えたのでした。


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