見出し画像

そこに横たわっているもの

開業したての時、酪農家をやっている
遠くの家に往診に行き、お昼ご飯をごちそうになりながらそこの家にいる
動物を一通り診るというイベントみたいな日があった。
そこの奥さんが大阪出身の方で、お料理とお話上手で
毎回長居しては色々なお話をした。
私は北海道生まれ、北海道育ち、どこまでたどっても北海道以外にしか
ルーツはないという家系。
「女なんだから」「男たるものは」「妻だから」「夫だから」という
発言を一切しない家に育ったものだから、大学に入り、山登りの部活に入って「女なんだから」的な発言をほぼ初めて聞き、いちいち歯向かった。

なにかの時に大阪の奥さんが「スギさんは差別を見たこととか経験したことないでしょう」と言われたことがあった。
確かにないなと思ってお話を聞いていたら
職業差別があるとか、地域によって「ここに住んでる人はねえ・・」という
差別があったり、苗字でも差別されるという話を聞いた。
「橋のない川」という本にそれらのことが書いてあるよと教えてもらって
早速買ったけれど、あまりに遠い世界の話で少し読んで読まなくなってしまった。

その話を聞いた直後に、同じく北海道育ちの後輩が、ある人と結婚を決めたところ、自分の母親に「その職業の人との結婚は認めない」と言われたと言って連絡してきた。「スギさん、そんな話聞いたことあります?」と聞かれて「最近そんな話があるって聞いたわ」と言った覚えがある。
まさかこんな近くでその話を聞くとは!と驚いた。
結局、後輩は反対されたまま結婚して子供ができた頃やっと母親に
許してもらえた、というか孫の可愛さに母親が負けたようだ、という話を聞いた。

この話が差別の一番身近な話であり、それ以来その手の話は聞こえてこないが私の中に「この職業の人は差別されたのか」とか「この苗字は確か・・」など差別の意識として横たわるようになった。

ミン・ジン・リー著「パチンコ」という本を読んだ。
上下巻の長編だ。
韓国の貧しい暮らしの中で産まれ育った女性が年をとり、人生に一息つくまでの淡々とした話だ。ある男性との出会い、出産、大阪への移住、貧しい暮らし、義兄弟との生活、仕事、子供、孫・・・
とにかく淡々とした暮らしの中の話なのだが面白くて一気に読んでしまった。
「在日コリアン」という言葉が出てくる。
「在日であることを隠す」「在日という理由でいじめられる」など
日本で産まれて日本で育った「在日コリアン」は時にはその身分を隠し
「在日コリアン」の世界の中で生活する。
どんな苦しみ、屈辱、強さ、怒り、悲しみ、誇り、喜びがあるのか
私にはわからない。
でも大阪の奥さんが言っていた「大阪に昔からある差別」の話と
重なって「ああ、やっぱりそこにあるのは本当だったんだ」と感じた。

グッドウイルハンティングという映画の中で、心に傷を負った主人公の青年と心を通わす精神分析医がこうやって言う。
「君の辛い生い立ちのこと。そんな話を本で読んだことがある。だから
君の気持ちはよく理解できるよ。
・・・って君が他人に言われたらどう感じる?」

その言葉がすごく響いた。
本で読んだぐらいで、その過酷な環境にいる人の気持ちが理解できるわけもなく、痛みを共有することもできないだろう。
でも、本を読むことで、知らなかった世界を見聞きし
想像することはできる。ほんの少しだとしても。私は大阪の奥さんと
本のお陰で「差別」の存在を知り、少しだけ想像することができた。
私ができることは何もないのだけれど、子供らにこの本を薦めた。
差別を知らない子供らに「確実にこういうことがある」ということを
知って欲しいからだ。
眼にはみえないけれど、そこに横たわっている大きなものの存在を知って欲しかったからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?