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死との向き合い方

久坂部羊さんの本を読むことが多いです。
「無痛」という本から始まりました。
痛みを感じない病気の少年が犯罪を起こす物語で、ミステリーでもあり
医療物でもあり、大変面白かった。
その続編「無痛2」はもっと面白くて、数ページ読んでは
「ああ、こんなに読んだら終わっちゃう!!」と思いながら
読んだほど面白かったです。
原因不明の病気、治療すればするほど死ぬ、結局生き残ったのは治療しなかった人。という結論でした。

久坂部さんは現役の医師で、他にも色々医療物を書いていますが
先日読んだ「介護士K」という本。
「え、いいの?こんなこと書いちゃっていいの?」と思いながら読みました。

私の「死に対する考え方」。それは「治療すればいいってわけじゃないだろ。なんでも長く生きてりゃいいってわけじゃないだろ」というもの。
「介護士K」はそれを大っぴらに書いてあったのです。

父方の祖母は寝たきりのまま、誰が誰だかわからないまま、点滴されて
10年間病院にいたそうです。
父方の親戚とはほぼ交流なしで、時々、父から話が入ってくる程度ですが
父の弟が祖母の面倒を見ていた、というか病院に入れていたのですが
「ばあさん、まだ生きてるぞ。もう10年になるぞ」と
連絡を寄越していたとか。
それになんの意味があるのか?といつも思っていました。
ただ生きているだけ、病院に入ってるだけ、「ばあさん、まだ生きてるぞ」って息子に言われるってどうなの?そして誰もなんも言わないの?と。

私は、知っている人を認識して、自分のやりたいことができる
=生きる、ということだと思っているので
それができなくなったら、あとはもう何もしないと決めています。
人間ドックに行かなくなって10年近くになります。
今はまだ未成年の子供がいるのと、仕事を65までやると決めたし、他にやりたいこと、行きたいところもあるので、体に不調があれば病院に行き
不調を治してもらうために治療しますが、
見えない何かを発見するための検査はやらないことにしています。

65を過ぎたら病院にも行かないし、車の免許も返納して
自分の足で行ける範囲で行動して(車は使わないだけで、旅行はする)
音楽を聴いて、本を読んで映画をみて、ゲームをして、猫を飼って
植物が枯れるように死にたいと願っています。

という死生観を、やはり仕事にも出してしまいます・・・果たして
いいのか悪いのか。
寿命は必ずある。
それは、どんな良い環境であれ、高いご飯を食べていても、いなくても
どんなに飼い主さんが注意してもしなくても、もって生まれた寿命って
あると思うのです。動物たち。
ペットフードの質が良くなり、治療も進歩して随分長生きになりました。犬も猫も、鳥もハムスターも兎も。猫は20歳を越えていることも珍しくなくなりました。

若い動物たちが、病気に苦しんでいる、不慮の事故にあったら
それは「寿命はまだだと思う!」と思って飼い主さんと共に
頑張ります。頑張ってもダメなことももちろんあるけれど
飼い主さんも時間も費用もたくさん使わせてしまうけれど、遠くの大学病院に行ってもらったりすることもあります。
でも、17歳のわんちゃんや19歳の猫ちゃんが
「ご飯を食べないんです」と言って来たとき。
その時は「・・・・そうでしょうね・・たぶんそういう時なんです」と
思います。
痛い、痒い、吐く、呼吸が苦しい、などなど。
黙ってろうそくの火が消えるようにそっと死んでいくことが理想だけれど、
死ぬってそうじゃないことが多い。
苦しみ、痛がり、吐き、時には痙攣をする。
そうやって死んでいくだろうと思うのです。
だって生きていた命がなくなるのだから、何もなく消えるわけがない。
それが長い間続くなら、それらが少しでもないようにお手伝いはするかもしれないけれど、ゼロにはできません。
「苦しむところを見たくないんです。苦しませたくないんです」って
言う人いるけれど、
いやーーそりゃ無理だろ、って内心思ってるし、言ってしまいます。多かれ少なかれ何かはありますよと。
「何もしない」という選択をしてあげてください。そして最後までしっかりと見てあげてください、と言います。
点滴は水分補給にしかなりません。かえって長引かせてしまうかもしれないです、だから本当は私はやりたくない、けれど飼い主さんがどうしても、というならやります。とお話しすると「何かしてあげたい」と言って
点滴を希望する方は多いです。

ひどいなと思いつつ「この点滴は〇〇ちゃんのためにやってるわけではありません。飼い主さんのためにやってますから」と言います。

死にゆく命を前に、頭ではわかっていても心がついていかない
飼い主さんはたくさんいらっしゃいます。
気持ちはわかるけれど「みんないつかは死ぬから」と思っています。
死にゆく動物に検査も必要ないだろうと思っているから
飼い主さんに希望されない限り検査も極力しない。
何かできることありますか?と聞かれたら
そばにいてなでなでしてあげてください。と言います。
獣医いらないんじゃね?と思われてるかもしれませんね。

夫は大動物の獣医です。
夫に恨みつらみはあるけれど、仕事の仲間として、また先輩として
一つだけ尊敬して共感できることは
「獣医がやっているのは助けることではない。動物たちが生きたいと
思っていることをお手伝いしているにすぎない。助ける、なんておこがましいことは言えない」と思っている点です。

私の考えが受け入れられない患者さんはやっぱり多くいらっしゃると思います。
もっと検査してあげたり、一生懸命点滴とかしたらいいのかなあとか
考えることもちょっとだけありますが、やはりできないのです。

そんな中、私の方針を知って転院してきた方がいらっしゃいました。
周りで「スギさんのところは、年取った動物たちにあまり検査とかも
しないし、希望がなければ無理に治療しないらしい」と聞いた、と。
あの人にも聞いた、この人も言ってた、と次々に言われて
私、そんなに大っぴらに自分の方針をお伝えしているつもりはなかったのだけれどわかるもんなのねえ・・・とちょっと焦りました。
一方で、まあでも、私が考えていたことがみなさんに伝わっていて
それで病院を決めていらっしゃるんだったらいっか、と安心もしました。

考えてみれば開業して20年。
あそこの動物病院の先生はこんな考え方だよ、と言われても
おかしくない年月が経っていました。

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