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「生徒主体の授業やっていい?」

生徒主体の授業ってどういうものでしょうか?

生徒主体といってもいろいろとありますよね…

本当の「生徒主体」とはどういうことなのでしょうか?

何を目的に学んでいるの?

 ぼくは、授業の時間を通して、生徒自身が本当に自分で考え、自分で行動する姿勢と実際に動くことができるようなってほしいと考えています。そのためにどのような授業を行っていくことが望ましいのか、どのように授業時間をデザインしていくことが必要なのかを常に考えています。

 学校内で「いい点数」を獲ることが学びの目的ではありません。「学び続けられる力をつける」、すなわち、学び自体に「意義」を見出し、学びに「ある意味の愉しさやおもしろさを感じる」そのような学びを提供する、そのような学びを促す学びの場をデザインすることがぼくら教師の本当の役割と考えて、日々悩みさまざまなことに取り組んでいます。

「先生が伸びる授業」

 既に分かっていることに関して、こちらから「正解」「正答」を提示し続けていくことは、ある意味容易なことです。しかも、そのようなことをする先生は生徒たちの目の前にいるだけで、尊敬のまなざしを受けることができるかもしれません。しかし、それで本当に生徒本人の学力をつけることになるのでしょうか? むしろ多くの生徒の伸びる可能性を潰していることが多いのではないでしょうか? それはどういうことかというと、「どうせ先生が、正しい解答(いい解法)(カッコイイ解き方)を出すからそれまで待っていよう」と生徒たちの待ちの姿勢を生み出し、暗記にのみ頼る意識を育て、自分から考えたり表現したりする姿勢を潰しているのはないですか…?

 そしてここにおいて最も学んでいるのは、教える側の「先生」であり、最も学力が伸びるのも「先生」なのではないでしょうか…

「“カラオケ授業”はしない!」

 もし、それで生徒の資質・能力が伸びるのであれば、何もわざわざ学校という場(塾も同じですが)に集合する必要はないでしょう。最高の講義を行う一人の人(ロボットでもいい?)が講義を続け、それをすべての生徒が聴けばいいことになります。知識や技能の伝達が目的であればそれでいいのではないですか? その人は、最高の伝達講義を行うために、相当の準備をしてくれることでしょう。

「授業の流れを生徒がつくる授業は…」

 現在、高校生の授業(生物基礎)において実施しているのは、「生徒からの疑問点や質問を中心に組み立てる授業」です。

 「何を問うか」「どのように問うか」…ここで身につけてもらいたい資質の一つが「質問力」であり、その先にあることが、課題を見つける力です。そこで、「生徒中心の授業展開を目指している」ことから、「発問を生徒に委ねる」という方法で授業展開をしています。

 この方法は、一見、「生徒に委ねる」というように思われるため、「先生が楽をしている」ように見えるのかもしれません。しかし、よく考えてみてください。教科書にあることに沿ってこちらで準備した通りに進めるのであれば、そこからいつ逸脱こともなく、教師が準備したこと知っていることだけを伝えていけばいいのです。しかし、テーマは決まっていても生徒の質問を中心として進めるとなると、その分野の専門性はもとより、それぞれそのときの対応力が求められることになります。一回一回の授業が、生徒にとってというよりもむしろ教員側にとって、とても緊張感のあるものになります。そして、当にその場におけるやり取りこそが、生徒にとっていい体験でありいい見本となって、それ以降の人生に役立つものと考えています。そう、これこそが生きた学びとなるのではないでしょうか。

新しい学習指導要領が求めているものは…

 以上のように、ぼくは、学校の授業を学校という閉鎖空間の中の学びのためのものではなく、社会で生きる学びの場にしたいと日夜考えて学びを提供しています。そして、その結果を示すための手段としてテストや評価があると考えています。そのために、どのようなテスト形式が適切か、評価方法がありうるのかについても考えながら実施しているところです。そこのところは、また次回以降に…

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