見出し画像

ボクともぐらと 37_ゴルフ観戦で見たキャディーさんの”愛”。会社にも”愛”を。

ボクともぐらさんは会社の同僚。2人はそれぞれに「ぼくモグラキツネ馬」(絵本・寓話)に感動・共鳴し、あ、そっか、”やさしいひとになる”という夢を公言してもいいんだ、と勇気をもらい、”やさしいひとになり、あり続ける”という昔からの夢を伝えあって意気投合。やさしいリーダーに成長し、会社にやさしさを吹き込むことを目指している。その一歩一歩の物語

今日は、ゴルフを観に行ったのです。チケットをひょんなことから頂いて。資生堂レディースオープン、という試合。

ゴルフ場は、自然と人間が作る造形があいまってキレイですね。今日は曇りでしたけど、春はこぶし、梅、桜、藤、新緑、夏は濃い緑、秋は紅葉などでキレイなんですって。女性のウェアもファッショナブル。確かにプロのみなさんはとても素敵でした。尚、今日は、もぐらさんにも、もぐらにも出会えませんでした。ゴルフ場にもぐらがたまにいると聞きましたが。

で、スポーツは何でも、それぞれユニークで、人間が作り出した本当にすばらしい”こと”だと思うのです。ルールを作り、時代と共に変更され、その中で競い、”勝つ”ために思考し練習し、ただ一人では何もできず仲間やチームで支え合い、それぞれが練習・努力・成長し、その成果を”勝つ”ことなどで証明する。

で、ゴルフは、プレイヤーとキャディーさんと言われる2人がペアで競っていました。キャディーさんなる人は、プレイヤーがゴルフをするに必要な道具(結構重いみたいです)を担いで一緒にプレーする場所を歩くのです。山あり谷ありを、15,000歩は歩くようです(って、隣に居たおじさんが言っていました)

で、このキャディーさんの役割が、道具を運ぶだけではなくて、心理的に重要な役割を担うのですって。

ゴルフは、クラブと呼ばれる棒のような道具を使って小さなボールを目標地点まで400メートルとか、500メートルとか何回かに分けて飛ばしていくのです。キャディーさんのお仕事は、距離は後どのくらい残っているか、小さなボールが風にどう影響されるか、この足場でちゃんと小さなボールを打てるか、前の木がじゃまだけど左から曲げて打つべきか、右から曲げるべきか、池にボールを入れないようにするにはどうしたらいいか、とか、考えるのですって。今の環境を知って・プレイヤーの技術レベルも念頭に、どう打つべきかを判断し、プレイヤーさんと会話し、打つ方針を決める、とのこと。

で、思いました。この思考のプロセス、もちろん1人でもできます。ただ、仲間がそばに居て、口に出して会話できると、納得感が違いますね。口に出して初めて正しい、そうでもない、がわかります。とても大切。1人では状況把握が抜け漏れるかもしれないし、自分のスキルを過信するかもしれないし、そもそも決められないかもだし。仲間と議論し納得する。このプロセスはとても価値があると思いました。まさに会社でやるべきプロセスですね。

また、プレイヤーが失敗が続いてイライラしている時に、心を落ち着かせてくれるとか、集中し過ぎている時に、ちょっと飲み物でも飲んでリラックスさせたり、雨が降ってきたら優しくさっと傘を差し出したり(今日もこのシーンが見れました。優しい!)。逆に今は会話しないで静かに見守ろう、とか、意見が分かれた時にはプレイヤーを信じ、「うん、プレイヤーさんの意見の方が確かにイイね!」と自分を曲げて、鼓舞するとか、今日のためではなく将来のためにココはあえてリスクを取ってみようよと進言するとか、とのこと。

利他主義というのか、まさに純粋な「愛」があります! あるいは「素直な自分を抑えて支える度量・勇気」という高度な感情制御がありますね。なんだか、一緒にいてくれるだけでありがたい。。。

あれれ、キャディーさんって会社で言うとマネージャーさんみたいじゃないかしら。仲間を信じ、目標に向かって鼓舞し、悩みがあるときは助け、会社の目標の達成と個人の成長を目指す、みたいな。素敵なマネージャーさんにはチーム各メンバーへの”愛”がありますよね。

でも、会社にはなんだが愛が無いですよね。「会社は会社。家族や友達じゃない。上下関係があるし、カネでつながっているだけだし、指示されるし、やりたくないこともやらされるし、意見もあわないし、ストレスたまるし・・・」などなど。

でも、ゴルファーとキャディーさんも同じ。家族じゃないし、雇い主はゴルファーだし、お金の繋がりだし、重い荷物をそもそも担いでいるなんてやりたくないだろうし、意見も合わないこともあるし、ストレス・プレッシャーなんてすごいはず・・・(キャディーさんがお父さんやお母さん、姉妹が担う場合も多々有ります。。。)

どうして会社には愛が無いんだろう。学校の先生、部活・クラブのコーチや監督、ゼミの教授など、会社というものに属するまでは愛があった気がする。もちろん無い先生や監督などもいたし、それが普通かもだけど。ただ、会社には愛が不要というか、そもそもそういう発想にならない気がする。会社とはそういうものではない、みたいな。

でも、これって、みながそう思いこんでいるから、だと思う。変えられるはず。「やれと言われたことだけやればいいよ。どうせ給料あがらないし。ストレス嫌だし。忙しいの嫌だし」みたいなのを変えられる。愛あるマネージャー/リーダーが出現してきたら、変えられる。一歩一歩浸透していく、と思う。どうかしら。

ただ、ゴルフは現場にゴルファーとキャディーさんの2人だけ。会社は違う。ひとが複数いる。自分と誰かという構図だけではない。仲間のAさんとBさんの意見が異なる時に、二者択一の時に「どっちを取るの?問題」が起きえる。キャディーさんのように「素直な自分を抑えて支える度量・勇気」だけではない複雑性がありそう。

でも、そういう状況が発生するのが会社・職場・仕事。「判断する=どちらかを取り・どちらかを捨てる」のだけど、両者や対立関係の複数の間に一体感を引き続き醸成できるのがリーダー/マネージャーの”腕”の、”愛”の、見せどころのように思う。

”腕”・”愛”を見せるためには:
1.ビジョン・想いに合う方で判断。
それでもダメなら:
2.利己主義ではなく、利他主義(より社会やお客様視点)で判断
それでもダメなら:
3.最後はもうえいやで判断。でも、選択されなかった一方には大いに大いに感謝。だって、そのお陰で選ばれた方がより良い選択肢だったと評価できたのだから。ちゃんと理由を説明し感謝する。比較できるってありがたいね。
それと:
4.採用・社内の教育で、一歩一歩、やさしい・素直な・仲間思いの・前向きの人柄をつくっていく

ナイーブ?無理?空論?実効性無い? でも、ボクはこうしてみたく、変わると信じています。やさしく愛あるリーダーが率いる、やさしく強い組織。つくれないものかしら。。。キャディーさんに指導してもらいたい。。。

”ただいっしょにいるのは、いみがないこと?” ぼくがたずねると、モグラはこたえた。”そんなことないさ”」(「ぼくモグラキツネ馬」より)

”生きていると、嫌なことばかりが目に入る。それでも世界は、想像もできないほどの愛にあふれている”」(「ぼくモグラキツネ馬」より)

”やさしさに勝るものはない” 馬がいった。”すべてのうえに、しずかに存在している”」(「ぼくモグラキツネ馬」より)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?