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職場では、機能的関係に終始すべき? 人間的・感情的関係を培うべき?

制服を着た女子高校生らしきとおじさんが、ぴったりひっつき、腕を組んで歩いて来る。すれ違う際に凝視。親子だった。顔が似ていると思えたし、学校の話をしていた。土曜の昼間、人通りも多い。ま、親子か、と思い直す。

微笑ましい。が、珍しい。高校ではなく中学生かな。

すると、一緒に歩いていた仕事関係の女性が、「親子でよかったね。でも、父親にぴたって引っ付いて、手つないだり、なんて、私は無かったなぁ。そんな記憶は無いなぁ」とのこと。中学以降は当たり前に無いけど、小さい頃から父親と接した記憶が無い、と。そして、なんか寂しい、と。

彼女に子供はいない。そして「旦那と手をつなぐなんてことは、もはや何十年も無い。ま、したくもないけどー」と愚痴なのか、寂しいのか、こんな独り言が始まる。ま、ボクにしゃべっているのだけど反応できず。

そこから仕事の話に。「ひと同士の触れ合いって感情を落ち着かせるに大切だと思うのよ。大人になるとだんだん減るでしょ。私みたいに。ははは。触れ合い、とっても大切。

楽しい施設(介護施設のこと。彼女は医療・介護関連の仕事をされている)は、スタッフや利用者同士がぺちゃくちゃ会話していて、くだらないことで笑顔にすぐなって、あと、触れ合いがたくさんの所、と思っているの。

当然、触れるのよ。バイタルとか、お風呂、食事などがあるし、歩行も補助するから。でも、直接の仕事場面だけじゃない触れ合いのことなの。心配したり、楽しさを共有したり、そんなときに触れ合う。言葉にプラスで握手したり、軽くハグしたり、みたいな。これが私が思う素敵3条件。なるべく触れない、を指導しているとこもあるけどね」

学校教育も、会社も、特に医療・介護業界は制度事業で法的要求を満たすことで売上になっているが、こんな笑顔や触れ合いなどのスキルや条件は全くに要求されない。エビデンスが無いから。コントロールの難易度が高いから。本質なのに通り過ぎてしまう。確かにそう思う。

「星の王子さま」のごとく
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」


「普通の会社で触れ合うとセクハラか。でも、こういうことは本当にセクハラなのかしらね。
がんばったね、って感謝の握手、仲間が退社する際にハグ。ま、ダメか。クソオヤジから握手求められてもキモイか。」

でも、ボクにはヒントになった。

比喩だけど、異性が混じっても、挨拶で握手、成果がでたらハイファイブ、難題前に肩組んで円陣とか、ちょっとした合図で肩をつつき合う、そんな接点が嫌悪されない。そのための、自らの人柄と外見と、組織の環境と雰囲気と、社員の質、を目指すリーダーシップ。これが良いな、と思ったのでした。現実にはどこまでがんばってもセクハラかもですが。。。

コンプラ、セクハラ・パワハラ、ワークライフバランス、健康経営、ホワイト/ブラック、ESG・・・。こんな経営・人事用語が流行。昔から変わらずの大切な要素がカタカナになったり、新しい言い回しで注目。総論は肯定、良いこと、だと思います。

職場で、最後にボクが殴られたのは2001年、最後の灰皿が飛んできたのは2004年、最後に目の前で資料を破られたのは2015年、最後の土下座は2016年。ここ7年は無事だ。こんなことが今、大企業で起きたら大変。

でも、思うのです。コンプラ、セクハラばかりを気にして、組織が機械的な関係、機能だけの関係、役割だけの関係に終始するのは良く無いかなと。ひとらしい人間的・感情的関係は失われないように注意したい、と。なぜなら、一丸になって大きな目標を達成するには、最後には、こんな関係性が皆のチカラを生み出す、と思っているので。。。

会社はもっとウェットで、人間的な知性・人的な成長の場で、感情的に支え合って、みなが共感するビジョンを目指す、そんな場であるべき、かなと思うのです。甲子園目指すみたいなもの。うざいかな?

読んで頂きありがとうございます。
(職場を/人生を良質にするコンセプトv6_61)


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