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幼い自分に向けた親の言葉を思い出し、今の自分がその立場ならどう言うか。

「耳無し芳一(ほういち)」。日本昔話で比較的有名。

盲目の琵琶法師の芳一が平家の亡霊に取り憑かれたため、和尚さん(やお寺の小僧さん)が芳一のカラダ中に経文を写して守る、なんて話。だけど、うっかり耳(耳たぶなどがあるいわゆる普通の耳。内部ではなくて、耳介(じかい)と呼ばれる外側)にだけ書き忘れたので、亡霊に耳をもぎ取られた、そんな話。

ただ、その後、耳はお医者さんに治してもらって、琵琶法師としてますます大活躍し、幸せに暮らしました。そんな話。

この昔話が、今日、美容院に行ったら話題になったのです。いつもの美容師さんがボクの耳の後ろの髪が耳に向かって生えていて、耳にぶつかり、外に向いたり・カールしたり、と指摘。「この耳が邪魔なのよね。「耳無し芳一」のように耳がないとイイのにね。そしたら、髪が伸びても、ピンピンはねず、ボサボサ感にならないのだけどねー」とのこと。

「髪より耳の方が大切でしょ!」と突っ込むと、「あら、そうね。ま、美容師なので髪優先で(笑)」とのこと。いつも明るい素敵な美容師さん。

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小学1年か2年か覚えてないが、この「耳無し芳一」を何かで読んだ。その記憶が鮮明に残っている。なぜなら、非常におバカな話だと思ったから。おバカ過ぎ。芳一のカラダの隅々までお経を写したのに、顔にも書いたのに、耳を忘れるか?! 坊主で髪もないのになぜ耳を忘れる?! お粗末な話だ、くだらない、と強く思った。ので覚えているのです。

大人の今であれば、メッセージとして、身体に障害のある方々や見た目が”多く”と違うひとでも、こんな誰かのミスや不慮でそうなっている可能性や、それでも何かに一流になれることの示唆、差別はNG、あるいは、和尚のような一流もうっかりがあるもの(弘法も筆の誤り)など、色々考えられます。

で、このおバカさに耐えられず、母にその意見を伝えた記憶も残っている。

母の返しは「人間はうっかり忘れちゃったり失敗するものなのよ。あなたも野球でエラーするでしょ。もしかしたら和尚さんも時間がなかったのかもしれないわね。他に忙しいことがあったのよ。だから、うっかり忘れちゃったのね。ママも忙しくて何か忘れちゃったら許してね。あなたも忘れ物ダメよ。でも忘れちゃうものよね。野球でもエラー、繰り返しちゃうでしょ。で、そんなときはどうするの?」。記憶曖昧で多少脚色してるかもだけど。

で、ボクは「ふぅーん」と、そこまで実はおバカではないのかぁ、と不思議に思った。。。それ以降、「耳無し芳一」に出会うことはなかったが、今日、再び出会う。

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子供だから、都度の母との会話の価値はわかりえない。トラウマになる強烈な一言はありえるけど、例えば上述のようなトーンの知恵については右から左。ただ、一貫してずーっと幼い頃からこのトーンで知恵を貰っていたとすると、当然に、子供の性格や思考のクセに影響しているはず。

この母の返答には、優しさと、ちょっとした愛嬌がある。そして、人間は忘れるものという注意と許容と、でも、忘れる・ミスするのは原則的には良いことではないと伝えてくれている。そして、自分で考えなさい、という重要な指導も。

ま、どう考えても母はこんな深い意図で返答はしていない。が、ただ、普通に答えている中に彼女のキャラと思想が出ている。そして、子供はこんな親のキャラと思想の影響を受けている。反面教師になることもあるし、そのまま純粋に受け入れることもあるでしょう。

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で、振り返ってみると、今のボクにはこの記憶している母の返事がとても心地良く思えるのです。今の自分が母の立場でも類似の主旨・トーンで子供に返事するかな、と思ったのです。似ている。

だから、母が母で良かった、と思ったのでした。価値観、人生観、人間観が似ている。そっか、反面教師ではなく純粋に受け継いだのかな、と。

ということで、美容師さんの会話から飛び出した「耳無し芳一」。そのお陰で、小さい頃を思い出し、今は亡き母(両親)に感謝したのでした。



読んで頂きありがとうございます。
(最近出会った素敵な気づきフレーズv7_92)



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