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最初に何かを初めてやったひと、なんていない。日々のコツコツが世界を変える

正月2日目。毛ガニを食べました。亡くなった親戚が毎年送ってくれていた。。。今年は自分達で同じ北海道のお店に発注。とても美味しい。

カニは、ズワイガニ、毛ガニ、タラバガニ、ボクはあまり聞かないけど花咲ガニを含め、日本4大ガニ、らしい。あれ、松葉ガニとかは含まれないの?と尋ねると、松葉ガニやら、越前ガニは、ズワイガニのブランドとのこと。

毛カニは雑食。魚や同じ甲殻類などを食べる。食べるもので毛ガニの味も変わるらしい。季節・場所で味が変わりえる。甲羅って不思議。身をほじるのに一生懸命で無口になりがちな中、そんな話。

で、親戚が「カニを最初に食べたひとってすごいね。こんなのをよく食べようと思ったよね?」

そこから色々考えてしまった。

おそらく最初に食べたひとなんていないのだ。なぜなら、「最初」が存在しない、と思うのだ。

カニが今のカニになる前から、人類が今の人類になる前から、両者は接点があり、食されていた、との思いに至ったからなのだ。小さく小さく変化・進化をしているから、カニが今のカニになったのがいつで、人類が今の人類になったのがいつで、その両者が初めて食されたのがいつ、なんて線引きは不可能なのだ。連続ごと。歴史を切り取って、いつ、とは言えないのだ。

徳川家康が最初に天ぷらを食べた(亡くなった)、なんて話は聞く。ある料理が海外から伝わって最初に食べた偉い人、に関する書物はある。カニもそう。漢字の蟹の由来になる、中国の「巴解」なる人物が食べた「虫」らしきものが今で言う「蟹」(=解+虫)。でも、それは文字で表現された最初なだけ。

すでに人類がいて、海や川があって、何らかの偶然でカニを捕まえる。火のそばで偶然に焼けたら美味しかった。山火事でボイルされていて美味しかった。そんなことはあちこちで起こっていた。でも、その時ですら「最初」ではないはず。カニがカニらしくなる前からもこんな偶然が起き、人類が人類らしくになる前から起きていた、とそう思うのだ。

人類が火を使いだす180万年ほど前、人類の祖先がホモサピエンスになる20万年ほど前、農業を始める1万年ほど前、文字を書くことを進化させる5000年ほど前。そんな前からカニの祖先を食していたはず。

食べる方も、食べられる方も、進化しながら、接触を繰り返していたと思うのだ。だから、今の状態の「カニを最初に食べたひとってすごいね。こんなのをよく食べようと思ったよね?」という現象は無いと思うのだ。

地球全体の小さな小さな進化の膨大な積み重なりを経て、今、「現状」がある。この「現状」の起源の追求は困難。昨日まではカニはカニでなく、今日、カニになった、ということは無い。

同じく、明日、自分が突然変異で、何かに変わることはない。進化することはない。明後日も同じ。そしたら1日、2日、3日ぐらいサボってもいいのか? それは違う。3日目まではサボれて4日目はダメ、とは言えない。どこで線引きをして良いかの答えが無い。「1.期限」と「2.やること」と「3.その量」と「4.1日あたり処理量」が分れば、サボって良い日数はわかる。けれど、人生のめざす姿は、1.2.3.4.全てが不明なのだ。1.2.3.4.を明確化しても目指すことが実現できるかは誰も言えないのだ。だから、サボって良い日数はわからない。だから、毎日やるしかないのだ。サボって良い日数は無いのだ。

ということで、そんなことを毛ガニをカニフォークでむしりながら考える。まるで単純作業の内職をしているかの集中。

結果、2024年、日々やると決めたことはがんばって毎日やろうと心新たに思ったのでした。健康のため・目指したい人格のため・知恵・スキルのため。毛ガニに感謝です。ということは亡くなった親戚に感謝です。ま、みんなに感謝ってことですね。


読んで頂きありがとうございます。
(職場を/人生を良質にするコンセプトv6_84)


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