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「嫌い」って言葉、地球上に不要かもね

ボクが首にしたとも言える後輩とご飯。恨み無し?

だいぶ前の話だが、ある会社の社長からアイツがいらない。どうにか辞めさせろ、そんな指示が下りて来た。正当な理由が無い、営業成績も他の営業マンと比較して悪くない。勤務態度も問題無い。会社都合でなんて辞めさせられない。

ところが、社長いわく、俺は振るわない営業は首にできるということを社内に見せたい。アイツは給料が他より高いんだ。他の営業マンと比較して悪くない、では通じない。だから辞めてもらう。社労士とも相談済みだ。だからボクにはこうすれば良いんだよ、とかクソな指示。こんな社長のもとにいること自体が不幸で時間の無駄と思う。社員が気の毒に思う。

彼と話に行き、素直に全てお話。優遇策をうまく通すと約束。こんなリーダーのもとで誰も働きたくないと合意。家族と話しをするので数日待ってと言われ、別れる。結果、辞めますと伝えて来た。ボクとこの会社の縁も長くはなくなる。

今日、ご飯したときに彼は言う。「でもね、別にボクのことも、社長のことも、あの会社も『嫌い』じゃないですよ。本当ですよ。色んな理由が世の中ありますね。自分が給料に見合う成果を出していなかったとも言えますものね。

『嫌い』って感覚、ないんです。そもそも『嫌い』って何でしょうかね? わざわざ『嫌い』って言う必要ないと思うんです。好きなことだけ伝えて、あとは、うーん、なんか違う表現で。ま、『嫌い』が『嫌い』なんです。」と。

むむ、確かに、「嫌い」ってなんだ? わざわざこの言葉を使う必要ってあるのかしら?

ということで、彼と「嫌い」についてアレコレお話。

ひとは皆、出来が悪いし、曖昧だし、未熟だし、移り気だし、頑固だし、我が儘だし。そんなひとの欠点ばかり見るならば自分が苦しいだけ。長所を見るべき。

失敗なんて誰もがするし、サボりたくなるときも、弛むときもあるし、迷惑かけることも多々。そんなことで、人自体を丸ごと「嫌い」になることは確かに無い。

どうしても合わないひとは当然いるけど、今は避ける対象なだけで、ひょんなことで将来は仲良くなるかも。性格は変わるし、立場でひとは変わるし、経験でひとは変わるから。だから、「嫌い」と烙印を押す必要も無いような。「嫌い」ということで未来を無くしているような。

「あいつのこと好きだよ。あの点がちょっと自分とは合わないけどね。だからちょっとあまり一緒の時間は作らないけど。いつか仲良くなるといいな」。長ったらしいけど、そういう表現でいいような。

嫌いなことは何?と質問されると、答えることはできる。例えば、並ぶことが嫌い。約束を破ることや遅刻することが嫌い。ゴキブリが嫌い、とか。

でも、別に、並ぶことはあるし、うっかり遅刻することはあるし、蚊には刺されるし、ゴキブリが出ても対処はする。別にどうでもよいと言えばどうでも良い。そこまで「嫌い」なわけでもない。

「嫌い」という言葉より他の適切な意味の言葉が常にありそう。「嫌い」と表現するその裏にある理由。

例えば、並ぶことは時間の無駄。約束を破ったり遅刻するのは信頼を無くす。ゴキブリが突然現れると本能的にビックリする、とか。あの、ドキッってどこから来るのかしらね。

映画のように、牢屋とか人質とか極寒の地に独り取り残されるとか、そんな極限状態に放り込まれることは、確実に「嫌い」だろうけど、「嫌い」というより、恐ろしい、怖い、辛い、しんどい、。という言葉のほうが適切だ。嫌いという言葉はどうも合わないような。

両親が亡くなる。友達が亡くなる。悲しい・さみしい。嫌いという言葉は合わないような。

モノやコトにも「嫌い」を使わずに、より適切な他の言葉を使えば、「嫌い」という言葉を使う場面が減って、人を「嫌い」になることも無いような。

「嫌い」という言葉の存在を忘れよう。「嫌い」という言葉を気軽に使えることで、人と人との関係が、コミュニケーションが、失われているような。もったいないような。

よし、「嫌い」って言葉、使わないようにしよう!

職場を良質にするコンセプトv6_31
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。



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