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ボクともぐらと 32_やさしいリーダーは”弱い”でしょ?いえ、強いよ。

ボクともぐらさん、会社の同僚、は、やさしいひとになり、そうあり続けることが夢。そんな夢もちゃんとした立派な夢と思い、そして、やさしいリーダーになり、安心と挑戦が同居するやさしい組織を作ることを目指している。「ぼくモグラキツネ馬」(絵本・寓話)から学びながら、一歩一歩。その物語

「のっくのっく」。もぐらさんがやって来た。ボクに部屋なんてないけど、いつも登場はのっくのっく。「お疲れ様です。屋上行きませんか?」「え、屋上って出れるの?」「はい。行ったことないのですが、行けるんですって。ドラマや映画みたいに、屋上のシーン、どうかと思って。」

ということで、屋上へ。ところが「うひゃぁ、暑すぎです。帰りましょう。」と2秒で終わりそうなところ、「えええ、せっかく来たんだから眺めよう!」ともぐらさんを引っ張り込んで、暑い屋上にしばし滞在。近くに桜の木がたくさんあることが発見でき、来年の花見シーズンは楽しもう、という話になった。

とともに、もぐらさんから、「あのぉ、同僚からこんなこと言われたのです。やさしいひと、やさしいリーダーを目指していますって、ま、ストレートに言うの恥ずかしいので遠回しに言ったら、”はぁー?”って感じで、”やさしいなんて弱いだけだろ”、と言われました。やさしさは強さです。強くないとやさしくなれないです。でも、そう思えないひとは、”やさしいリーダーってなんでもOKするの?、強く出れないだろ、それで何かを達成できるか?” って・・・。」

やさしさは弱さではない。逃げではない。無関心ではない。テキトーではない。やさしさはやはり強さだ。強いからやさしくなれる。なぜ、やさしくなれるのか、一歩引いて俯瞰的にやさしさを観ると、強さがその前にある。

やさしいリーダーは、例えば:仲間のミスや難題に、イライラしたり怒ったりしない。自分の感情を他人の言動や事象にコントロールされない強さがある。だから、仲間のミスにやさしく接しされ、逃げ出さずに他人任せにせずに原因・解決の選択肢を色々考え、解決に向けて歩む強さがあり、ミスした仲間にも、鼓舞し再挑戦させ、それを見守るやさしさがある。

やさしいリーダーは、例えば:仲間の希望を何でも飲むわけではなく、「この案件、やりたいのです。」がみなと共有する想い•ビジョンに沿っていないと判断された場合に、断固として否定できる強さがある。同時に、仲間がどうしてそう思ったのか、その背景を知ろうとし、傾聴し、ただ、他の活躍を促し鼓舞し、それでも側にいてくれることへ感謝できるやさしさがある。

やさしいリーダーは、例えば:法律違反や裏切り、逃げなど、なんでも許すわけではない。誤ちを認めさせ、謝罪の言葉を発せさせ、チームワークを維持・復活させ、その個人の信頼をも必ずや挽回させる強さがある。仲間を信じる強さがある。同時に、原因・理由を知ろうとし、不慮の可能性や仲間のせいではなく自己責任を追求し、仲間と2人では、色々あるさ・もう気にしないさ・忘れるさ・とらわれないさ、と未来を向き、希望を伝えるやさしさがある。

何事も言われたまま、何事も許し、仲間を野放図にし、カオスをつくり、結果を残さない、のが、やさしいリーダーの意味ではない。

「ケンシカンのカンですね。」ともぐらさん。「むむ?ケンシカン?」「はい、見る、視る、観る、のケンシカンの、観です。俯瞰的に一歩引いて観ると発見がありますね、ってことです。」「ありゃー、そんな言葉あるの? でも、わかる。遠くから全体を観るのはいいことよね。」「はい、屋上に出て初めて近くに桜があることを知って、来年の花見シーズンへの期待が持てたと同じです。やさしさを一歩引いて観ると、いろんな強さを持っていますね。やさしさはすごいですね。」

うん。ボクともぐらさんは、やさしくなろう。強くなろう。強くやさしくなろう。そしてそうあり続けよう。未来に向かって。今、直面する様々な課題に対して。

”おおきくなったら、なにになりたい?” モグラにきかれたので、ぼくはこたえた。”やさしくなりたい”「(ぼくモグラキツネ馬」より)」

やさしさに勝るものはない”馬がいった。”すべてのうえに、しずかに存在している「(ぼくモグラキツネ馬」より)」

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