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芸術の良さが分らない時多々。解説に助けられ。それでイイかな。(ベターアイデア? v3-97)

先日の土曜日。東京は雨が強め。家にずっといた。走れメロス(太宰治)をふと本棚で目に付いたので読みかえした。

で、その本には他の短編も載っていて、「満願」というかなり短い話がある。昔読んだのかほぼ覚えていない。男女の関係に関する掌編。本当に掌編で、文庫本で3ページしかない。1600文字ほどか。あっという間に読み終わる。

で、メッセージがわかったようでわからない。へ、なんだこれ?みたいな状態。

たぶんこういうことを言っているだろうけど、確信が無い、というのか、示唆していることは”これ”で間違いはないのだけど、作者がどうしてこういうことを書いたのか?みたいな不思議もあって、内容は理解したのだけど、なんだかもやもや。

で、最後に載っていた解説を読んだ。”これ”が正しかったことを納得したとともに、「すばらしさ」が最初よりはだいぶ植え付けられた。解説のひとの説明で、それにそもそも太宰治が書いたのだから、すばらしいのだろう、という認識に変わる自分。。。

「人間の善意と健康への信頼を、祈りをこめて明るくうたいあげる。人間の、男女の危うい機微を、秘密を、パラソルをくるくるまわしながら、飛ぶようにして歩いて行く若い夫人の中に、なんと見事に清冽に表現していることか。気合いのこもった名人芸という以外ない。」(奥野健男_「走れメロス」(太宰治、新潮文庫)の解説)

なるほど、これは気合いのこもった名人芸なのか・・・。残念、ボクはわからなかった。けど、名人芸と解説される意味はわかった。ちょっと成長。

旦那さんが3年前から肺を悪くして、医者から夫婦関係を止められていて、奥さんは辛抱させられていた。で、医者から「けさ、おゆるしが出たのよ」ということで、美しいものが、白いパラソルをくるくるまわしながら、飛ぶように歩いていった、のを作者が見て、三年と言ってもと胸をいっぱいにして、女性の姿が美しい、と言う。そんな話。

解説を読んでから、読み返す。なるほどそう言われれば「清冽だ」とは思った。が、人間の善意と健康への信頼と、危うい機微は感じられなかった。ボク的には、プラスなのかマイナスなのか、違う形容詞が出てきた。ま、それも良いのだろう。

ただ、この解説に大いに助けられた、のは事実。解説を読んで、それを感じられるか、もっと吟味して読みなおした。かなり短い短編、掌編なだけにストーリーよりも「表現」・「言葉」に注意が向けられる。解説のように読み解こうと読む。もちろん解説を読んでも、納得できず、自分が違う感情を持つのはそれはそれで良いと思う。

解説のお陰で、へ?と思った作品の価値が自分の中で上がった。読んだという事実だけでなく、この先の人生で何かの時に、この物語を比喩として使える材料として吟味でき、記憶に残った。

文学作品の楽しみ方って、当然、単なるストーリーだけじゃなくて、分りやすいメッセージだけではなくて、こういう文学作品たらしめている言葉や言い回しから、色んなメッセージの可能性を自分で深く考えること、ですかしらね。

ということで、プロの解説って文学や芸術には必要なのでしょうね。もちろん現代のエンタメにも必要ですね。ぱっと見ただけでは、聞いただけでは、読んだだけでは、味わっただけでは、触っただけでは、分らない。しょうがないその道のプロではないし、詳しいわけでも無いのだから。読み解けなくてもいいのでは。だから、解説してくれるプロのチカラを借りる。より詳しく知れてより好きになれる可能性が高まる。

さらには、文学や芸術などを創り出した人々の、こだわり、気合い、プロ意識、努力、などを知れる。もっと好きになり、人生が豊かになる気もするし、自分も学び・気づきがあり、自分のアウトプットに使えるかも。

今日のベターアイデア:
本や絵画や映画や劇や音楽や料理やファッションやあれやこれや。世の中で創り出される人生の豊かさを支えてくれる様々。昔の作品も今の作品も。ただ、ぱっと見ただけでは、聞いただけでは、読んだだけでは、味わっただけでは、触っただけでは、分らないことも多々。だから、解説してくれるプロの方のチカラが必要。より詳しく知れて、より好きになれる。人生が豊かになり、自分も学び・気づきが深まり、自分のアウトプットに使える。創り出されたそのものに接するとともに、解説にも接する。解説ももはや芸術かも。いいアイデアかなと。

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