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父の逢瀬に奨学金が使われていた話

タイトルのとおりですが、完全に言葉のとおりではないです。捉え方次第ではという話です。

私の両親は離婚をしました。熟年離婚。今では珍しくないのかもしれないですが、やはり自身のこととなると胸にグサりとくるものがあります。

原因は父の不貞でした。情けないことに私は全く気づかなかったのですが、妻の勘というものは侮れないもので、探偵をつけてみたところあっさり判明したとのことです。
この話を母から聞かされたのは大学の夏休みで帰省していた時。最終日の帰りがけの時でした。前日まで家族団欒で食卓を囲んでいたのに突然の告白でした。

地元の会社で運送業をしていた父は名前だけの課長役職でした。給料は安く、その割に残業が多い。休出で家を空けている日も多々ありました。

ここまでが私の知る父の姿です。

課長か何かの上位役職というのは本当でした。一方で給料が高くないというのも本当でした。ただ、残業が続き休出が多いというのは誤った事実でした。
そうです、朝早くに出て深夜に帰ってくる事が多かったのはどこぞの知らない女と逢瀬を重ねていたためでした。
また、平日の休みで自分だけの時間のある日はパチンコにお金を注ぎ込み、買っても負けてもどこかの部屋で家族以外の人との時間を過ごしていたらしいです。

子の進学のため、夢のためにせっせと働いてくれている尊敬できる父という幻想は崩れ去りました。高校・大学の受験費用から入学料、その後の仕送りまで支援してくれていたのはすべて母だったのでした。もちろん、母一人の稼ぎでは私の生活は補えず、私は莫大な奨学金を抱えることになりました。

抱えずとも本当は払えていたはずのお金。それが父の娯楽快楽に費やされ、名前も顔も知らない女に間接的に飯代やらホテル代やらで支払われていたと思うと腹立たしいです。しかも子持ち女と聞いた日にはさらに呆然としました。向こうの子供は事実を知った時何を思うんですかね。知る由もないですが。

最後に父と会話したのは母から全てを聞かされる前日、2人で港町へドライブに行き一緒に浜焼き食べました。助手席で私は大学生活のことや下宿先に美味しいラーメン屋さんがあることついて語りました。その日以来、父の姿は一度も見ていません。

調停後の後日談ですが、父は私に高卒で働いてほしかったと言ったそうです。大学進学を夢見た時点で私は見放されていました。あの日、楽しそうに話す私の姿は不快でしかなかったのでしょうね。

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