ヴァルプルギスの魔法使いたち 3

 さて、霧の村が近づいて参りますと、停車する駅舎もいよいよひなびたものとなり、人影もとんと絶えて、辺りはひっそりと静まり返っておりました。この地方に住んでいる者で霧の村のことを知らぬものはおりませんでしたから、みんな魔女や魔法使いや、瘴気の霧を恐ろしがって、霧の村の近くへは近づこうともしないのです。おかげで霧の村の周囲一帯は廃れて、霧の村に一番近い駅から、伯父さんはこれから、山道を何時間もかけて歩いて行かなければなりませんでした。いつも体を縮こめて歩いていたせむしの伯父さんにとって、山道というものは普通の人の何倍も、一歩一歩を苦心して進まなければならないものでした。伯父さんは地図を広げ、霧の村の場所をもう一度確認しました。気の遠くなるような山道が、そこには記されておりました。しかし、伯父さんはわざと明るい声で言いました。
「さあ、ここからが正念場だ。ゆっくり行こう、アルデバラン。時間はたっぷりとあるのだから」
 その言葉通り、伯父さんは片方の手にトランクを、もう片方の手にアルデバランの鳥籠を持って、ゆっくり、ゆっくりと進みました。途中、山小屋を見つけて、こんな寂しいところでも、何がしかの理由で通りかかる人が誰か一人くらいはいるのかもしれない、と伯父さんは期待したのですが、山小屋はとうの昔に打ち捨てられ、今はもう誰にも使われていないようでした。既に日も暮れかけておりましたので、伯父さんは山小屋で一晩休んでいくことにしました。ベットの上に積もった埃を払えるだけ払い、身を沈めてみると、伯父さんはにわかに心細くなりました。辺りは行けども行けどもなんにもない一本道で、それどころか、次第に木々や草木の緑も見えなくなり、朽ち木の影と、白っぽい岩ばかりがごろごろと転がる、枯れ山の様相となってきているようなのです。
 結局あまりよく眠ることもできないまま、伯父さんは夜がまだ明けきらないうちに山小屋を出発しました。ようやくなだらかな道に出るころには、すっかり朝と呼べる時間になっておりましたが、辺りは霧に包まれて、日差しも通ることはなく、ほんの数ヤード先でさえ霞んで見えるほどでした。その深い霧の向こうに、ぽつんと小さな建物が見えました。それは霧の村の関所でした。軍服を着たいかめしい男が、伯父さんの行く手に仁王立ちに立たずんでおりました。伯父さんは岩だらけの山道に疲れきっておりましたが、ようやく人の姿があったことにほっとして、足早に男の前に進み出ました。あんまり辺りが静まり返っているので、本当にこんなところに村があるのかと、心配になってきていたのです。
「ジークフリート・バルシュミーデだな」
 互いの顔のおうとつがすっかり露わになるまで二人の距離が縮まると、男はおもむろに口を開きました。
「そうだ」
 既に関所に話が伝わっているらしいことを知って、伯父さんは喜んで答えました。出迎えにしてはずいぶん態度の大きな男ですが、衛兵というのは、人間の町でも魔法使いの村でも、どこにいてもそんなものなのかもしれません。
「ヴェルナー・バルシュミーデの兄、サラ・バルシュミーデの伯父の、ジークフリート・バルシュミーデだ。さあ、早く、愛しいサラに会わせておくれ」
 ところが男は、蔑むような目で伯父さんを一瞥して、
「ここを通すわけには行かない」
 と言って、その場から動こうとしないのです。何やら様子がおかしいことに気がついた伯父さんは、怪訝に思って眉をひそめました。
「何故だね。どうして君に、私の通行を止める権利がある。私は私の血の繋がった弟と、かわいい姪に会いに来たのだ」
「サラの母親、ユーリア・バルシュミーデから、貴様を追い返すようにとの通達が来ている」
 これには伯父さんは、愕然としました。そうして瞬時に、霧の村の内側で一体何が起こったのか、アルデバランの落ち着かなげな様子の理由の全てを、悟ったのであります。
 伯父さんの手紙は、サラに届いてはいなかったのです。手紙はサラに読まれる前に、サラの母親ユーリアの手に渡り、伯父さんが村の関所を通り抜けることができないように、既に手はずはすっかり整えられていたのです。伯父さんは怒りよりも呆然となって、赤い口髭をこんもりと蓄えた衛兵のおもてを見上げました。伯父さんがどうやら全てを悟ったらしいことを知った衛兵は、小馬鹿にしたように伯父さんを見下げると、悠然と関所の小さな窓辺に腰をかけ、偉そうに足を組み、伯父さんを上から下までじろじろと眺め回しました。衛兵は一見、魔法使いとは思えぬほどにがたいがよく、そうして並んでいると小さな関所の建物が更に小さく見えるほどで、魔法など使わずとも、容易に伯父さんをねじ伏せることができそうでした。
「貴様、呪われているな」
 衛兵が出し抜けに、口を利きました。
「なんだって?」
 伯父さんは耳を疑って、衛兵に尋ね返しました。衛兵はやはり、人を小馬鹿にしたような品の悪さを隠そうともせず、何も知らない伯父さんを鼻で笑いました。
「なんだ、気づいてないのか?それならば教えてやろう。お前の呪いの源は、そこにいるチビのフクロウさ。そのおぞましいまでに深く刻み付けられた呪い、ユーリアのものだな。恐ろしい魔女だよ、あの女は。人を呪う才能があるのさ」
「どうしてお前にそんなことがわかる。アルデバランもユーリアも、私の家族だぞ」
 サラからの大切な贈り物であるアルデバランと、仮にも義理の妹であるユーリアを悪く言われて、伯父さんの表情は知らず険しいものとなりました。
「そりゃあ、俺があの女より、力のある魔法使いだからさ。なんたって、霧の村の関所に置かれるくらいだからな。力のある奴でなけりゃあ、この仕事は到底務まらない。村の内と外との境界は、特に瘴気の霧が濃いからな」
「なんだと、この霧には毒があるのか?」
 伯父さんはにわかに狼狽えました。霧の村の規律が大層厳しいことは知っておりましたが、その霧に毒があることまでは、聞かされていなかったのです。
「ああ、そうだ。なんだ、あんた、そんなことも知らずにここへ来たのか?たとえ魔法使いであろうと、力の弱い者は瘴気の霧に当てられて、熱病にうなされちまうんだ。恐ろしい話さ。熱病は三日三晩、体ん中をそこいらじゅう暴れまわって、骨の髄まで蝕む。その痛みは、想像を絶するもんだと聞くぜ。ここはそういう、荒くれものの村なんだ。村自身も、その村に住まう住人どももな。ユーリアを見てたなら、わかるだろう。あの女は確かに見た目は上物だが、気ばっかり強くてどうもいけない。いつだってキーキー喚くように喋って騒々しいったらないし、おまけに酷いヒステリー持ちだ。呪いが得手ってのも、俺に言わせりゃ悪趣味極まりないね。女って生き物はもうちょっと、従順なくらいが丁度いい」
「ヴェルナーは、サラは、そんな危険に毎日晒されているのか。彼らは、大丈夫なのか?」
「村の住人は問題ない。村に入る前に念入りに、瘴気払いの魔法をかけるからな。それより、自分の心配をしたらどうだ。あんたもあまり長くここにいると、三日三晩熱にうなされるだけじゃ済まされなくなるぜ」
「しかし私は、サラに会わなくてはならないんだ。そのために汽車を三つも乗り継いで、はるばるここまでやって来たんだ。ただで帰るわけにはいかない」
「しつこい奴だな」
 どうあっても引き下がろうとしない伯父さんに、赤髭の衛兵は次第に苛立ち始めたようでした。
「あんたの事情なんか、俺の知ったことか。俺は村の住人から通達を受けて、変質的異常者であるところのあんたを、追っ払うのが仕事なんだ。さあ、さっさとどこへでも、好きなところへ行っちまえ。ただし、ここを通すのはお断りだね」
「誰が、変質的異常者だって?」
 伯父さんは、思いがけない言葉に目を白黒させて尋ね返しました。赤髭の衛兵は、声をあげて笑いました。
「お前以外に誰がいる?ジークフリート・バルシュミーデ!知ってるぜ、あんたまだ十一歳のサラを、いやらしい目で見てるってな」
「ふざけるな!」
 あんまりな言われように、伯父さんは顔面を蒼白にしてがなり立てました。
「私はサラをそんな目で見たことは一度もない!ありもしないことを並べ立てて、あの子を、サラを汚すな!」
「──たわけたことを」
 衛兵は、伯父さんの剣幕に一瞬はたじろいだようでしたが、すぐに自分の立場を思い出し、凄みを利かせて伯父さんを睨みつけました。
「俺はちゃんと知ってるんだ。ユーリアから、そう聞かされたんだ。とにかく、ここを通すわけにはいかない。場合によっちゃ、手荒な手段を行使してもいいと、ユーリアからも言われてる。痛い目を見ないうちに、帰ることだ」
「そんな──あんまりだ」
 伯父さんは衛兵にすがりつきました。
「頼む、一目でいい、サラに、サラに会わせてくれ」
 赤髭の衛兵は、伯父さんの醜い姿に、心底虫唾が走るように思いました。そして思わず、
「おれに触るな、化け物め!」
 と、堅い軍用ブーツのつま先で、伯父さんのわき腹を渾身の力を込めて蹴り飛ばしてしまいました。伯父さんはその衝撃で、軽く数ヤードは吹き飛んだかのように思われました。あんまり強く蹴り飛ばしてしまったので、衛兵は伯父さんが死んでしまったかもしれないと思い、シマッタ、という顔をしましたが、すぐに考え直して、
「あんたが悪いんだぜ。おれの忠告を聞かないから、そういうことになるんだ」
 と吐き捨てるように言いました。ブーツは伯父さんのお腹の柔らかいところにふかぶかとめり込みましたので、伯父さんは息苦しさに、地面から起き上がることもままならず、うずくまって激しく咳き込みました。トランクと、アルデバランの鳥籠がべつべつに地面に転がり、主人の危機を知ったアルデバランが、狭い鳥籠の中で懸命に羽ばたく羽音が、鈍く麻痺したようになった伯父さんの鼓膜にかろうじて届きました。
 と、伯父さんは自分の体に、蹴り飛ばされた息苦しさとは全く異なる異変を感じました。乱れた呼吸のすき間に、伯父さんは自分の顔を掻き抱き、喘ぐように呟きました。
「顔が──顔が、熱い」
 不可解な言葉に、伯父さんの顔になにげなく目をやった衛兵は、一瞬ぎょっとしたような表情を浮かべましたが、それもすぐに哀れみと蔑みの色となり果てました。
「なんと無様な」
 衛兵は、目の前でみるみるうちに変容していく伯父さんの姿を、呆然と眺めて呟きました。
「実に弱い生き物だ、人間とは。俺が手を下すまでもない」
「おい、君。私は、私は、一体どうなってしまったんだ」
 伯父さんが必死に押さえ込んでいる顔の左半分からは、しゅうしゅうと湯気が立ち昇り始めていました。異常な熱が、伯父さんの顔の左半分を冒していました。それは、あの忌まわしい戦争のときに、空襲に身を焼かれた感覚にも似ておりました。
「醜い容姿が、更に醜くなっている」
 衛兵は嘲笑いました。
「お前、人を憎んだな。俺か?それともユーリアか?その呪いは、誰かを憎んだり妬んだりするほど、お前を顔かたちをその心の通りの異形にするんだ。そして、老いていく。本来の年よりもうんと早く。そのチビのフクロウと一緒にいる限り、お前にかけられた呪いは進行し続けるぜ。あの女の呪いは強力すぎて、誰にも、俺にだって、解くことはできないんだ。そのチビのフクロウは、不幸を呼ぶ鳥ってわけさ。幸運の星なんて大層な名前を貰ったのに、かわいそうにな。長く人に飼われたフクロウは、もう野生で生きていくこともできないんだ」
 伯父さんは自分の顔の左半分を、指先でおそるおそる探りました。焼け爛れた肉と肌は、より一層醜く溶けて、その輪郭を崩し、顔の右半分にまで侵食してきているようでした。探った指先の、あまりにかさかさと骨ばった感触にも伯父さんは驚いて、まじまじと自分の手を見つめました。それはまるで自分のものとは思われぬほど、痩せぎすにしわがれて、節くれだった老人の手でした。ユーリアの呪いが自身の体にもたらした効果を目の当たりにして、伯父さんはしばらく呆然と、仰向けに寝転がったまま、両手を見つめておりました。やがて伯父さんはがたがたと震え始めました。それからしくしくと、泣き始めました。自分の容姿がこんなに変わり果ててしまうほどに人を憎んでしまったことが、伯父さんには恐ろしくてたまりませんでした。
 伯父さんが泣き出したのを見ると、衛兵は伯父さんが自分の姿に絶望しているものとでも思ったのか、さも愉快だ、爽快だというように、高笑いを始めました。
「泣けよ、喚けよ!全部お前の、その醜さのせいだ!」
 血走った目でそう叫ぶと、衛兵は再び、伯父さんを蹴り飛ばそうとしました。伯父さんは慌てふためいて、すんでのところでそれをかわすと、地面に転がったトランクとアルデバランの鳥籠を素早く両脇に抱え、一目散にその場から逃げ出しました。
「もう二度と来るんじゃあないぞ、呪われた、無様な異形の化け物め!この俺に、殺されたくなけりゃあな!」
 背後から、衛兵の金切り声が聞こえてきました。情けなくて、惨めで、大粒の涙があとからあとからこぼれて、止まりませんでした。衛兵はそれ以上、伯父さんを追いかけてはきませんでしたが、伯父さんは何かに取り憑かれでもしたかのように、走り続けました。涙で視界が滲み、ごろごろ岩の山道を、何度も足をすべらせ転びかけました。蹴り飛ばされたときに切ったのでしょうか、口の中で、血の鉄分と涙のしおの混ざり合った味がしました。不安定に揺れる鳥籠の中では、アルデバランが翼を広げ、時折ぽたぽたと落ちてくる伯父さんの涙に身じろいでは、不安げに首を傾げるのでした。
「何、気に病むな、アルデバラン」
 伯父さんは涙ながらに、アルデバランに向かって笑いかけました。
「お前はサラからの大切な贈り物で、たった一人きりの私の相棒なんだ。私たちはこれからも一緒にいよう。もともと醜く汚らわしいと、うとまれてきたこの容姿だ。呪いなど、今更恐れることはない」
 そう声をかけながらも、伯父さんの体はがたがたと震えが止まらないのでした。それはもう、ユーリアの呪いや、赤髭の衛兵や、伯父さん自身の憎しみに対する、恐怖からくるものではありませんでした。
 熱病が、伯父さんを冒し始めていたのです。
 山小屋に辿り着くころには、瘴気の毒はもう伯父さんの体じゅう、頭のてっぺんからつま先に至るまで、隈なくまわりきっておりました。異常なまでの寒気と悪寒に、伯父さんの顔色は蒼白を通り越して、紫色になっておりました。
「すまない、アルデバラン」
 アルデバランの鳥籠を開けてやりながら、伯父さんは息も絶え絶えに言いました。
「なんだか体がおかしいんだ。一緒にいると言ったのにな。せめてお前だけでも、この毒の山からうまく逃げおおせてくれ。そうだ、サラのところへ帰るのがいいだろう。私の手紙を持っていないのがわかれば、ユーリアもきっと、お前の帰りを許してくれることだろう。すまないな、アルデバラン……」
 伯父さんは打ち捨てられた山小屋の、埃っぽいベッドに倒れこみ、そのまま三日三晩、人のものとは思えぬ高熱と、骨の髄を蝕む激しい痛みにうなされつづけました。熱病は伯父さんの脊椎に後遺症を残し、目覚めたときにはこれから先の一生、杖なしでは歩くことのできない体になっていたのでした。

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